小野登志郎のブログ

出版・ウェブの制作会社(株)小野プロダクション代表で、ノンフィクション・ライターの小野登志郎です。徒然にゆる~く書いていけたらと思ってます。

カテゴリ: 韓国関連

 東京地裁におけるエイベックスとC-JeS(と相撲協会)の裁判次回期日は、2013年1月18日。判決ということです。

 もう少し早くなるかと思っていましたが、やはり裁判所が資料を整理し判断するにはそのくらいの時間がかかるのですね。長い裁判で、結局年を越すことになってしまいましたが、ようやく一つの結論が出ます。

 また、この流れだと韓国の裁判より日本のほうが早く判決が出ることになりそうです。その辺のことで、判決に影響が出るのか、出ないのか。注目したいと思います。

 

 ところで、さっきから当たり前のように五人の名前を連呼しているが、読者の方は五人の姿がちゃんと思い浮かんでいるのだろうか。五人のファンの方はもちろん、鮮明にと言うほかないくらい彼らの姿が浮かぶだろう。でも、東方神起という名前は知っているけれど、メンバーの顔とかはよくわからない、という人もいるかもしれない。実はわたしがそうだった。ほんの一年半ほど前まで、わたしは五人の名前も、どれが誰かなのかも全くわからなかった。というよりも、五人とも同じ顔に見えて、判別できなかった。よく、異なる人種の顔は見慣れていないので判別しにくいというが、「イケメン」という人種と接する機会の少ないわたしとしては、「イケメン」はあくまでも「イケメン」で、みんなおんなじなのだった。そこでまずは、彼らの立ち位置で名前を「照合」することにした。

「真ん中はジェジュン、その右隣は……」

 というように。彼らのデビュー当初からのファンたちは、わたしが映像を見ながら「彼はジュンス」と当てると、「よくできました!」と、からかいながら褒めてくれたりもした。ただ、立ち位置はときどき変わるし、そもそもアップの写真とか映像では「照合」できないので、覚えるのを諦めかけた。しかし、不思議なことに、覚えるのを諦めると、彼らの仕草や声、バラエティ番組で見せる「持ちネタ」などから、五人の姿と名前が判別できるようになっていった。要するに、わたしはいつのまにか、東方神起にはまっていたのだ。

 わたしが彼らに興味を持った時、その時は既に彼らは「分裂」していた。分裂していたどころか、一方のグループJYJは、エイベックスと激しく争っていたのである。

 韓国のJYJの代理人イム・サンヒョク氏は、東京地裁に提出された2012年6月16日付けの陳述書において、下記のような記述をしている。

「1 本件専属契約を締結した経緯について

(1)当職は、C-Jesの代表者であるペク・チャンジュ及びJYJの3人から、エイベックスとの間で、JYJの日本におけるアーティスト活動に関するマネジメント契約を締結することになったので、C-Jesの代理人としてエイベックスとの交渉を行って欲しいと頼まれ、2009年12月16日、エイベックス側の人達(エイベックス経営企画室取締役の阿南雅浩及び韓国人スタッフのペク・スンジン、エイベックスの法律代理人である日本TMI法律事務所1のチョ・キィチャン担当弁護士)と会い、契約の内容について、最初の打ち合わせを行いました。それ以後は、メールで契約内容を詰める作業を行い、2010年2月26日、エイベックスとC-Jesとの間のJYJの日本におけるアーティスト活動に関する専属契約(以下、「本件専属契約」と言います。)を締結することとなりました」

 2009年12月16日はもちろん、2010年2月26日にも、わたしは彼らのことをほとんど知らなかった。

 しかし、この日付が何を意味するのか、少しずつだが分かってくる。

 わたしが彼らの名前や顔を覚えていったのは2011年に入ってからだと先に書いた。そして、彼らのことをいったん覚えると、不思議と忘れることができなくなってしまった。

 そういうファンは多いのではないかと、わたしは想像している。東方神起はいつのまにか日本でCDを出し、日本のテレビに出演して、レコード大賞を取ったり、紅白歌合戦に出たりした。つまり、いつのまにか、日本人の生活の中に浸透していったのだ。それも、日本語で歌を歌い、日本語でテレビに出演することによって。

 確認のために言っておけば、日本語を母国語とする者にとっても、それを成し遂げることは、奇跡というほど恐ろしく難しい。まして韓国という「異国」から乗り込んできて、それを成し遂げるなど――ペ・ヨンジュンによって形づくられた「韓流」という下地があったにせよ――、誰もが不可能なことだと考えていたことだろう。あのビートルズですら、日本で公演を行ったときには、あくまでも一部の人間によるものだが、「ビートルズ・ゴー・ホーム」と野次を飛ばされ、批判する者や、脅迫する者すらいたのだ。

 わたしは個人的に、ビートルズは世界で初めて、歌によって国境を越えたバンドだったと思っているが、そのビートルズでも越えられない壁があった。誰しもが少しずつ持っている、異質なものに対する反発心だ。その裏には、文化の違い、人種の違い、もっと言えば、国家同士による殺戮の歴史が、決してぬぐい去れない記憶として横たわっている。それはとても深い傷痕だ。もちろん、東方神起の背後にも、そういったものがないわけではない。日本と韓国の間には深い闇が横たわっているし、それは今後も簡単には消えることがないだろう。でも、東方神起は魔法のようなダンスと歌でそれを一瞬にして飛び越え、わたしたちの前に現れた。とはいっても、深い闇が消えたわけではない。だが、東方神起はあまりにも強い光を放ち、その深い深い闇をかすかに照らすことができたのだとわたしは思っている。

 だからまずは、彼らが光り輝く瞬間を見よう。それはあまりにも強く光りすぎたために、光り続けるための持続力を持っていなかったのではないかとすら勘ぐりたくなる。でも、それはわたしの考えすぎかもしれない。ともかく、まずは彼らを正面から見てみないといけない。
(つづく)

(有料メルマガ
http://www.mag2.com/m/0001552211.html 2012年7月19日号に掲載した記事に少し手を加えました)

■第一章 鎮魂歌

 いわゆる「東方神起事態」を知らない方には、いささか唐突かもしれないが、一つの裁判資料を掲載したい。
 東京地裁に提出された、2012年6月16日付けのC-JeS社代表ペク・チャンジュ氏の陳述書は、エイベックスを下記のように強く弾劾する。

「5 活動休止後の経緯

 こうしてエイベックスは、2010年9月16日、一方的に、JYJの「活動休止」を公表しましたがそれ以前の同年6月からJYJのマネジメントを全面的に休止しました。唯一、それ以前に既に出演を決めていた「a-nation10」に同年8月に参加させてもらいましたが、それ以外には、本件専属契約に基づく一切のマネジメントをエイベックスは放棄したのです。

 エイベックスの行動は、JYJや日本のファンの気持ちをまったく顧みず、自社の利益のみを追求する、誠に許し難いものでしたが、JYJの日本での活動を最優先して考えれば、エイベックスに譲歩して、合意契約をしてもらうほかありませんでした。そこで、当社は、代理人弁護士を通じて、エイベックスに対し、和解金1億円を支払うので、専属契約を合意解除してほしいとお願いしましたが、エイベックスは拒絶しました。

 その後も、エイベックスはJYJのマネジメントを行わないという契約違反を継続しましたので、当社は、専属契約を解除し、日本での活動を再開することにしました。

 この契約解除が有効であることは常識で考えればだれでもわかることですが、エイベックスは、今度は「エイベックスとJYJの専属契約は継続して」という虚偽の事実を、横浜アリーナやさいたまスーパーアリーナなどのコンサート会場運営会社に通告するなどして、JYJの活動再開を妨害してきました。この頃のことは、ザックコーポレーションの宮崎社長の方が詳しいかもしれません。宮崎社長はエイベックスの妨害にも屈せず、JYJが両国国技館でコンサートをする手配をしてくれました。両国国技館を運営する相撲協会にも、エイベックスから、コンサートを中止しなければ裁判を起こすという脅迫文書が送られたようですが、相撲協会が圧力に屈せず予定どおりコンサートを開催させてくれました。宮崎社長の尽力、相撲協会の良識ある判断に、大変感謝しております。

 また、その後、ひたちなか海浜公園でコンサートを開催しようとした時も、関係者に違法な圧力がかけられたときいています。しかし、ひたちなか海浜公園を運営する国(国土交通省関東地方整備局)は、エイベックスを介さずにJYJのコンサートを開催しても何ら問題ないと正当な判断をしてくれましたので、宮崎社長には大変ご苦労をおかけしましたが、日本で活動したいというJYJの気持ち、日本のファンの皆さんの気持ちにこたえることができました。

エイベックスは、相撲協会に対しては損害賠償請求の裁判を起こしましたが、国に対しては裁判を起こしてもいません。弱い立場の者に強く、強い立場の者に弱い態度に出るエイベックスの卑怯な行動には、心底怒りを覚えます」

「怒り」が渦巻く長い長い裁判。この国境をまたいだ争いは、韓国の裁判所で、そして日本の裁判所でいちおうの決着が見られようとしている。

■一枚の写真

 一枚の写真がある。そこには五人の、「イケメン」としか形容しようのない若者たちが横一列に並んで写っている。真ん中でまっすぐこちらを見据える、少し中性的な顔立ちの少年がジェジュン。その右隣でポーズを取る、あどけない雰囲気を持つ少年がチャンミン。ジェジュンの左隣で、まるでジェジュンに対抗するように彼から少し距離を取る、切れ長の目を持つ美少年がユチョン。ユチョンの左隣でひとり黒いノンスリーブのTシャツに身を包み、髪を短くカットした少年がジュンス。チャンミンの右隣で渋いシャツを着こなし、全員を見守るようにして立つのが、リーダーのユンホだ。

 この写真は、なにも特別に貴重な写真ではない。グーグルで「東方神起」を画像検索にかければ、けっこう上のほうに出てくる。おそらく日本に来る前、グループの活動としては初期の写真で、どこか高校の同級生同士で撮った集合写真のような「素人臭さ」があって、でもそれがとても微笑ましい。なぜなら、もう少し検索をかけてみれば、今度はまったく違った彼らの写真が出てくるからだ。やっぱり「イケメン」としか形容しようがないのは同じなのだが、雰囲気がぜんぜんちがう。ダーク系の衣裳に身を包んだ彼らは、挑発的な、でもどこか見る者を包み込むような目線でこちらを覗き込んでくる。ある高みに登った者にしかできない、力強い視線だ。凄みすら感じる。真ん中にジェジュン、その右隣にチャンミン、左隣にすこしジェジュンに対抗意識を持っているように見えるユチョン、その左隣にノンスリーブのTシャツ(ただし今度は胸元がざっくり開いている)を着たジュンス、右端に全員を包み込むようにユンホが立つのは同じだ。ところが、この二枚の写真が隔てている数年の間に、彼らを「少年」からアジアでも有数と言っていいだろう「男」に成長させる濃密な変化があったことが想像できる。そしてそれはわたしの想像の中だけでなく、現実にあった。

 もちろん彼らには、その後でもっと大きな「変化」が訪れるのだが、それはひとまず置いておく。なによりも、既にアジアの「歴史」の一部と化した彼らの「変化」について語らなければならないと思うからだ。

(つづく)

(有料メルマガhttp://www.mag2.com/m/0001552211.html 2012年7月19日号に掲載した記事に少し手を加えました)


 韓国の繁華街明洞にほど近い、光化門の大通り。ここには李瞬臣将軍の大きな像が立っているのだが、その片隅に小さな人場がある。横断歩道に面する場所には様々なアッピールや抗議が書かれたカンバンを掲げた人々の列があった。日本では見慣れない光景だが、韓国ではこうした抗議を個人で行う人は多い。そこには、官庁の政策の不都合や会社の横暴から個人の不正まで、様々な抗議や糾弾が書かれていた。

 30度を超す暑さの中で、覆面をし、帽子を目深に被った異様な風体の男が抗議の看板を掲げていた。男は尉山から来た現代自動車の元労働者であった。看板には現代が彼になした不当解雇を糾弾する文章が書かれていた。

 話を聞くと、彼は尉山の現代自動車の生産ラインで働いていた労働者であった。彼は生産ラインでの作業中に目を負傷した。治療にもかかわらず、視力は回復しなかった。彼に対し現代は、事故は彼の不注意に起因するもので会社には何の責任もない。彼の自己責任であると主張した。そして目が不自由になり作業に支障を来たした彼に、突然解雇通知を突き付けたのであった。

 彼は抗議したが、会社は受け付けず、解雇は強行された。彼は何度も会社に抗議したが、会社は門前払いで対応した。実は彼は非正規労働者であった。であるから、労組も対応してくれなかった。我慢できない彼は、ソウルに上京し直接市民に訴える行動に出た。覆面をし、匿名で訴えているのは、現代の城下町である尉山には彼の親せきの何人かが現代で働いているからだ。
 

 彼らに迷惑が及ばないよう、こうした姿で訴えているという。

 こうした行動から何か“成果”を得られるとは彼も本気で考えてはいない。しかし無念の思いを少しでも晴らすためこうした行動を行っているのだと彼は静かに語った。

 ソウル、江南に新林洞という所がある。ここには韓国一の名門ソウル大学があるのだが、そのソウル大学に隣接する考試院という、学生専門の住居が密集する地域がある。考試院とは、大学を出て国家公務員や司法試験を目指す学生のための勉強部屋と宿舎を兼ねたような施設である。部屋代は安いものでは月30万wと言うものもある。4畳ほどの部屋に机とベッドが着いた簡素なものである。こうした考試院はソウルに約4千か所、韓国全土には約六千か所もあるという。

 ところが最近この考試院を、勉強の場ではなく住居にする若者が増えているのだ。新林洞の安い考試院の多くがこうした若者に“占拠”されている。前出キムさんのところでも述べたが、彼らはスペック不足で就職にあぶれた若者である。彼らの多くが非正規職で、アルバイトで細々と生計を立てている。彼らは未来に何の希望も見出せないままでいた。

 新林洞と並ぶ考試院密集地帯である鷺梁津で暮らす若者の一人ソン・ヨンホ(仮名)君に話を聞いた。彼は、全羅南道にある木浦近くの町の出身だと言う。

 ソン君は憧れの延世大入学を目指してソウルにやってきたが、試験に落ちてしまった。第二志望の東国大学にも落ち、浪人も出来ない環境だったことから、第三志望でしかなかった京畿大にやむなく入学した。しかし、第一志望の延世大に入れなかったことが尾を引き、勉強に身が入らなかった。彼は生活費を浮かすため、少しでも家賃の安い最下級の考試院で暮らすこととなった。

 勉強しスペックを重ねて大企業に就職し、考試院暮らしからおさらばするつもりだった。しかしスペックを重ねるどころか学業に身が入らず、アルバイトに明け暮れる生活が続いた。気がつけば、大学を留年し、考試院暮らしは5年目に突入していた。故郷では、誰もがソウルの大学に進学し大企業に就職できると期待していた。故郷の親はもちろんのこと、親戚、友人にも未だに考試院暮らしをしていると話すことが出来ない。何時ばれるかと思い悩む日々が続き、ノイローゼ寸前である。最近、同考試院に済む青年が漢江に飛び込んで自殺した。次は自分の番ではないかと怯えながら暮らしている、と彼は頭を抱えた。

 ここに記した3人の若者が韓国の若者を代表する存在だというつもりは無い。しかし、このような若者が数多く存在していることは紛れも無い事実である。彼らは、“見栄”を張るという儒教精神の負の部分にも絡め取られながら、日々不安の中で暮らしているのである。

 韓国のこうした若者たちは、先にも述べたがIMF危機以来の大企業優遇政策の負の遺産である。と同時に、精神的には韓国社会を未だに縛り付けている儒教精神に基づく“あくなき上昇志向”を良しとする社会の犠牲者でもある。上昇に失敗しこぼれ落ちた若者は、社会の敗者として、実際生活でも精神生活でも、痛みを感じながら生きていかざるを得ないのが韓国社会の一面なのである。

 また、これはまさに、韓流ドラマの中で、それとはなしに描かれている世界でもある。成功者はあくまで褒め称えられるが、脱落者には極めて冷たい社会であるという現実は、韓流ドラマを良く見ていれば、そこここに登場するのである。

 韓流ドラマで時に描かれる、貧しい若者の成功物語は、現実の若者にとっては「夢のまた夢」に過ぎないものなのだろう。


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■非正規労働者に酷いサムソン、現代

 韓国で最高の利益を出しているサムソン電子。その秘密はトヨタ方式も顔負けの徹底した下請け絞りと、騙しまがいの“非合法”な非正規労働者の“活用”でもあるようだ。

 パク・ミンジュさん(23歳・仮名)という、非正規で働く女性からサムソンについて驚くべき話を聞いた。

 彼女もまた前出のキムさんと同じく学生ローンの返済に苦しんでいた。そんなパクさんの携帯にsる日突然電話が掛かってきた。

「学生ローンに苦しんでいるのでしょう。私はサムソンの労務担当だが、いい仕事を紹介しますよ。サムソンで働けば正規労働者でも月に20万wにはなりますよ。一度働いてみませんか」

と、その電話の声は囁いた。そんな上手い話があるはずは無いと思いながらも、月2百万wの賃金の魅力に磁石のように引きつけられた。そして、気が付けば待ち合わせの場所と時間を聞いていた。

 翌日指定された場所に行くと、電話をしたという男が現れた。その男は挨拶もそこそこに、パクさんをマイクロバスの中に押し込んだ。中にはパクさんと同じ年頃の青年達が何人も乗っていた。何の説明も無く、バスが走り出す。1時間ほどして着いたのはソウル郊外にあるサムソンの工場だった。

 そこでいきなり働けと言うのだ。“拉致”まがいの連行に疑問を感じつつも、しかたなく工場の生産ラインに着いた。監督らしき人物の説明を聞き作業を始めた。作業はIT基盤らしきものにハンダ付けする簡単なものであった。とにかく、その日は働いた。仕事が終わると事務所に連れて行かれ“契約書”のような物にサインをさせられた。そこには確かに月に2百万wと書かれていた。しかし、同時に契約を一方的に破棄した場合は、違約金を取ると明記されていた。しかし、その時はあまり気にもしていなかった……。

 

そして、サムソンの工場にマイクロバスで通う日々が続いた。10日くらいが過ぎた朝、突然電話が掛かってきた。


「今日は来なくていい。明日はどうか判らないが、とにかく待機するように」

という指示だった。その時はそんな物かと思っただけだった。

 その後も、仕事の不定期化は続いた。月に20日間働ける月もあったが、平均すると月の平均労働日は10日を僅かに出るくらいだった。結局、月の収入は100万wにも満たなかった。

 仕事を差配していた男に抗議すると、契約書をたてに違約金を払わせるぞと脅かされた。こうして瞬く間に1年が過ぎていった。生活はアルバイト時代よりはるかに苦しくなっていった。たまりかねたパクさんは、先輩が属する民主労組に相談に行った。民主労組はすぐに対応してくれ、その手配師まがいの男に電話し「提訴するぞ」と抗議した。すると、まもなく電話での連絡が取れなくなった。彼の携帯電話はどうやらプリペイド式のものであったようだ。民主労組が、直接サムソンに抗議すると、サムソンから帰ってきた答えは、そんな男のことは知らない」の一点張りだった。「契約通り、ちゃんと月200万wの賃金を払え」と要求すると、サムソン側は、「それはその会社の責任だ。我々の関知する所ではない」と突っぱねてきた。水掛け論の果てにパクさんは疲れ果てて,ついにこの一件を放棄してしまった。

 こうした、訳の判らない手配師を使った人集めは、サムソンだけでなくLG,現代などでも日常茶飯事に行われていると言う。彼らは、自分の都合に合わせて若者を使っているのだ。そして、こうしたことがまた、サムソンの利益を生む。言い換えれば、サムソンの繁栄はこうした青年層を不当に扱うことで生み出されている側面もある。

 パクさんは「上手い話に騙された自分が浅はかだった、サムソン関連の仕事は今後一切嫌だ」と言い切った。その声は疲れ果てていた。
(つづく)

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