小野登志郎のブログ

出版・ウェブの制作会社(株)小野プロダクション代表で、ノンフィクション・ライターの小野登志郎です。徒然にゆる~く書いていけたらと思ってます。

カテゴリ: 北朝鮮関係


http://www.youtube.com/watch?v=39Nk2EFa5Oo&feature=plcp

「この映像は北朝鮮の北部の地方都市の駅前で撮られた映像である。人民軍の兵士が調達した物資をどこかに運ぶための作業をしているようである。行き交う人は軍人には無関心な­ようである。軍人は総じて若く、おそらく10代の少年であろう。この映像を見る限り、軍には優先的に物資が回されているようである。
 町の名前ははっきりしないが、ビルなどが見えることからそれなりの町なのであろう」

http://www.youtube.com/watch?v=AhhJ6Iy6h4M&feature=context-cha

この映像は、北朝鮮の北部にある町の駅前で撮られた映像である。撮影者は秘密で撮影していたようでピントが来ていない。しかし、状況は判る。駅前には多くの人がたむろして­いる。リュックの様な荷物を背負っている人が多いが、恐らく村などで調達した食料が入っているのであろう。自転車を推している男も見えるが、その自転車は数十年前物の様な­年代物である。子の風景は日本の終戦直後の風景を思い浮かべさせる。これが北朝鮮の地方都市の現実である。

「小野登志郎のチャンネル」http://www.youtube.com/channel/UCWfQ8NXL_2fSfUiAoxqbP6Qに北朝鮮の内部映像をアップしました。
 内容は下記です。是非ご照覧ください。

■アリラン祭影像1~4
①    アリラン祭1
北朝鮮平壌では今アリラン祭が開かれている。アリラン祭は北朝鮮の国威発揚の場であるとともに、現在では中国人を主とした観光客を呼び込み外貨を獲得する手段として大々的に行われている。北朝鮮関連のニュースなどで時折見かけるが詳しい内容はあまり見たことがない。小野登志郎のチャンネルでは中国の友人が撮った映像を入手した。2005年とちょっと古いが、この年は日本が降伏し北朝鮮が独立を回復してから60周年に当たる年でありアリラン祭は相当の規模で行われた。従ってアリラン祭を語る上では外せない年である。撮影者は個人の趣味のレベルで撮っており、今回が初公開である。
 正面の客席でくり広げられる巨大な一文字は見ごたえがあるが、やっている方はもし間違ったりしたら収容所送りになるかもしれない大変な作業であろう。

②    アリラン祭2 子供のショー
 映像2はアリラン祭における子供の演武の模様が撮影されている。子供たちの演技は“みごと”である。この子達を訓練するのは大変だったであろうが子供たちは一生懸命やっていて、その姿は痛々しいほどである。ここに登場する子供たちのほとんどが、労働党や政府関係者の姉弟である。彼らにとってはこの祭りへの参加は義務なのであろう。

③    アリラン祭3 青少年の演武
 子供の演舞に続くのが青少年の演舞である。これは高度な組体操のようなものである。演舞のレベルは高いが、この練習に取られる時間は相当なものだろう。オリンピックでもそうだがスポーツは北朝鮮では国事行動で個人がとやかく言えるものではなく、ただ従うだけのものに過ぎない。北朝鮮の青少年は楽ではないのである。

④    アリラン祭4
 ここからは大人の演舞である。北朝鮮のトップクラスの歌手やダンサーが出演していれ演技レベルは高い。参加している女性は美人ぞろい。アップが少ないのでその顔がはっきり確認できないが、歌手の中にもしかしたら金正恩の夫人がいるかもしれない。

⑤平壌市内観光映像北朝鮮の観光地
 これは2008年に撮影者が平壌観光ツアーに参加した時撮った映像である。この平壌の観光コースを回っている様子が撮られている。観光地はお馴染みのもので新味はないが、街を歩く人々の服装などフアッション、路上の売店などからなどから当時の平壌の暮らしの一端が伺える。

⑥妙香山から平壌市内へ
 この映像は北朝鮮の観光地妙香山の様子から始まっている。風光明媚な風景、宿泊施設、売店などの情報が含まれている。画面に出てくる博物館のようなものは各国の故金日成主席を”尊敬”する諸外国の人々が主席に送った品物の数々が飾ってある。この中に北朝鮮出身の力道山が金日成主席に送ったベンツが飾られているというが残念ながら映像には出てこない。
 観光団はそのあと車で平壌に向かう。
 平壌では地下鉄に乗る様子が撮影されている。地下鉄駅の過度の装飾など意味のないムダが多いのがよく判る。

(取材 浪城暁紀 構成 小野登志郎) 
 
 そんなこととは何一つ知らないチャンホは、服売り場、雑貨売り場、電気製品売り場を回った。そこでも驚きの連続だったが、それに触れることはあまりにも空しいのでこれ以上は書くのをやめよう。

 夕方の6時を過ぎると店のほとんどは閉まる。残るは付近のフアッション・ビルや食堂のみである。食堂の証明に浮かび上がる色とりどりのメニューを眺めならチャンホはひたすら時が過ぎるのをまった。


 夜が更けてからは、オモニが働いていたという食堂の裏で昼間会ったアジュンマ(おばさん)が出てくるのをひたすら待った。


 やがて食堂の明かりが消え、裏口からアジュンマが現れた。アジュンマはチャンホを促し、歩き出した。どこへ行くのか不安だったが、もはやチャンホには、彼に付いていく他、成す術がなかった。

 

 20分ほど歩いただろうか、アジュンマはチャンホを先導してある家に入って行った。そしてその一室のドアを開けた。そこは小さな部屋で2段ベッドが二つ並んでいた。中には女の人が二人いた。アジュンマは彼女らにジョンスク(チャンホの母の名前)の息子が訪ねてきたと告げた。二人のアジュンマは頷いただけだった。

 アジュンマはチャンホに座るように言い、台所に立ってラーメンを造ってくれた。早くオモニのことを聞きたかったが。進められるがままにチャンホはラーメンを食べた。これまた経験したことのない味で、とても美味しかった。お腹が空いていたチャンホ残すことなく平らげた。

 一息つくと、マジュンマはオモニのことを語り出した。既に判っていたことだがオモニはあの店にはいなかった。アジュンマが語るところによると、チャンホのオモニは2ケ月程前に店を辞め、黒竜江省の牡丹江市に働きに行ったというのだ。

 牡丹江市には朝鮮族のコミュニテイがあり、そこで身分を偽り働いている脱北者も少なくない。当時は国境沿いの延辺とは違い、脱北者の取り締まりもあまり厳しくなく脱北者には働き安い場所だった様である。とにかくオモニはそこに行ったのだと言う。

 アジュンマは、幼い身で脱北までしてオモニを訪ねてきたのに残念だろうね、と慰めてくれた。アジュンマによれば延吉から牡丹江までの距離は300キロもあるとのことであった。列車が通っているが、脱北者の少年が一人で行くのは不可能だと告げ、諦めて北朝鮮に戻ることを勧めた。チャンホは頷くしかなかった。アジュンマはあのベッドはジョンスク(チャンホの母)が使っていた。今は空いているから、今夜はあのベッドで寝なさいと言ってくれた。

 チャンホは恋しいオモニが寝ていたベッドで一夜を過ごした。布団からオモニの匂いがしてくるようで、恋しさが募り、涙が止まらなかったという。

 翌朝、アジュンマ達に丁重に礼を言い、その部屋を辞した。その足でチャンホはすぐに駅に向かった。チャンホはオモニのことを諦める気は毛頭なかったのだ。

 チャンホは、この時延吉から牡丹江市に向かう貨物列車に潜りこみ、かの地へ行きオモニを探す気でいた。そして駅の構内で牡丹江行きの貨物列車を探したのだ。

 あの優しいハルモニに貰った150元を小出しに使いながら飢えをしのぎ、時を待つことにした。チャンスは意外に早くやってきた。牡丹江という標識を付けた貨物列車を見つけたのだ。その夜、チャンホは貨物列車に向かい、適当な貨車を見つけて潜り込んだ。明け方、列車が動きだした。

 アジュンマに聞いた所では列車で8時間くらいかかるとのことだが、貨物列車ならもっと遅いであろう。標識に牡丹江行きと書いていたからには、牡丹江は終点だろう。列車が止まり、それ以上動かなくなってから降りればいい。

 何時間経ったか判らない。夜には列車はそれ以上動かなくなった。ここが牡丹江であることは間違いなかった。とにかく降りて駅に行くことにした。駅舎には「牡丹江駅」と朝鮮語の表記があった。この街のどこかにオモニがいる。その希望でチャンホは少しも疲れを感じなかった……。
(つづく)

 (有料メルマガhttp://www.mag2.com/m/0001552211.html に掲載した記事です)

 (取材 浪城暁紀 構成 小野登志郎)

■北朝鮮の人々が脱北に走った主なる要因は食糧難

(⑥からつづく)

 チャンホのオモニが子供たちを親せきに託して脱北した要因は食料確保のための金稼ぎであったと思われる。

 ここでこの頃の北朝鮮の食糧事情について触れておくことにしよう。

 この時期の北朝鮮の食糧事情と脱北とな関連を考察した文書に2006年中国の日本大使館が出した「「脱北者問題をめぐる近年の北朝鮮の動向」がある。「1990年代以降の社会主義圏の崩壊と、それにつづく北朝鮮の国際的孤立、「主体農法」に代表される農政の失敗により、北朝鮮経済は極度に悪化した。その後、1995年から97年にかけて発生した水害と旱魃により、大規模な飢餓が発生、200万人から300万人と伝えられる餓死者、10万人から30万人と推計される難民が発生、「生存のため」に中朝国境を越える脱北者数が急増した」と分析している。

 さらに「脱北者問題発生の要因」と言い項では「ロ.経済的要因」で「1990年代後半に脱北者数が急増した背景には、経済難による住民の生存権の確保の問題が挙げられる。配給制度の崩壊と、闇市場の急速な拡大、それに伴う物価の急激な上昇は1995年以降の北朝鮮社会の変化を象徴的に表している。2002年7月以降、配給制度の見直し、給与の大幅な引き上げ、企業所の独立採算を柱とする『経済管理改革措置』が施行されている。各企業所が自主的に価格を決定できるというのは、一見市場経済を導入した合理的判断のように見えるが、物不足のまま価格を大幅に引き上げたことにより、局の意図を超えた大幅な値上がりが発生した。給与は引き上げられても、豊かになるという実感はない生活感覚となっている。北朝鮮では「経済管理改革措置」の実施以降、急激なインフレが起こっていると伝えられている」と分析している。

 そして、脱北者を亡命型と生活脱北型に分け、生活型について「北朝鮮の経済状況は1998年頃が最悪であったが、2000年以降は改善の傾向が見られるようになったといわれる。しかし、これは最低限のカロリーが摂取できるという程度で、食糧を含む全ての物が不足している状況に大きな変化はなかった。食糧価格は高騰し続け、公的配給制度は麻痺したままであった。住民間の貧富の差が急速に広がったのもこの時期の特徴である。

 

 その結果、それまでの生きるために食料を求めて脱北してくる形態から、よりよい生活環境を求めて自発的に移住(移民)する形態へと脱北の性格が変化してきた。ある程度のリスクを覚悟してでも中国に渡り、現地で就職し、生活基盤を築く者、結婚して家庭を持つ者等、脱北の目的が多様化するようになった。生活向上や子弟の教育環境改善を望んで、脱北する者もいるという。これらの脱北者の多くに共通して言えるのは、北朝鮮に残っている家族に経済的な支援(仕送り)をしている点、脱北者自身も北朝鮮と中国の間を頻繁に行き来している点である。

 近年は中国国境地域での取り締まり強化により、この地域の脱北者数は減少の傾向にある。既存の脱北者たちは、黒竜江省、山東省をはじめ、浙江省、貴州省など内陸の方へも移動し、偽造の身分証や他人の戸籍の売買を通じ、中国国籍を取得し、中国に定着する段階にある。」筆者が延吉で接触した脱北者の大半が在中国日本大使館が指摘する生活型脱北者であった。筆者の経験からしてこの指摘は、的を得ているように感じられる。

 食糧を買う金を稼ぐために中国に渡ったチャンホの母は、まさにこの生活型の脱北者であったのだ。

■オモニ(お母さん)を探して黒竜江省牡丹江市へ

 翌朝、チャンホは起きるとオモニを探すため街に中に向かった。初めて見る延吉の街は、街中にハングルと漢字を列記した看板の並ぶ不思議な街だった。朝鮮のようでもあり中国の様でもあった。

 街中からは聞きなれた朝鮮語が聞こえてきた。中国語も聞こえてきたがもちろん何を言っているか判らなかった。叔母が言うにはオモニは、延吉の西市場という所にある食堂で下働きをしているとのことだった。

 街中の屋台などで朝鮮語を話している人物を見つけ西市場の位置を聞いた。そのアジョシ(おじさん)は何の疑いのそぶりも見せず道を教えてくれた。アジョシ(おじさん)の教えてくれた通りに西市場を目指した。そして、ついに西市場に到達した。チャンホにとってそこは、とてつもなく大きな市場であった。故郷の茂山にも自由市場があり、行ったことがあるが、それに比べたら雲泥の差であった。

 市場の中に歩みを進めた。そこには屋台が軒を連ね、見たこともないような品物が並んでいた。チャンホはここでも自分の国がいかに貧しいのかを思い知らされた。

 市場の裏手に回るとアジュンマ(おばさん)たちが列をなして路上の座り込み、目の前に品物を並べ「買った、買った」と朝鮮語で声を上げていた。これは北朝鮮でも見慣れた光景であった。そこはまさに朝鮮世界であった。チャンホは中国に来ていることを忘れたかのようにアジュンマ達の間で飛び交う朝鮮語に聞き入っていた。

 そのアジュンマの一人に、この間チャンホが大事に持っていた、叔母が書いてくれた住所を見せた。そして、この店はどこにあるのかを聞いた。そのアジュンマは自分は近くの農家から来ているから判らない。近くに並ぶ店に聞けば判るだろうと教えてくれた。

 朝鮮料理のメニューが書かれた写真が並ぶ店を見つけ、店員に探している店について聞いた。店員はすぐ近くにあると教えてくれた。やっとオモニに会える。チャンホの胸は希望に溢れた。

 そしてその店はすぐに見つかった。オモニはこの店で下働きをしているという。チャンホは店の裏に回った。ちょうど裏口から一人のアジュンマが出てきた。オモニか!チャンホは思わず駆け寄った。しかしそれは見知らぬアジュンマだった。チャンホはこのアジュンマに母のことを知らないかと聞いてみた。最初、警戒感を露わにしたこのアジュンマは、チャンホが北朝鮮から来た事をすぐに見破ったようだ。つまり、彼女もまた脱北者であったのである。

 そのアジュンマはチャンホに今は忙しいから、店が引ける夜10時過ぎにもう一度来るように告げた。その様子からチャンホはこの店に現在オモニがいないことに気付いた。しかしこのアジュンマはオモニのことを知っているようだ。

 チャンホは夜もう一度来ると告げて、市場の方へ戻って行った。市場は広く、全部見るには大変な時間が掛かりそうだったが、時間を潰さなければならない。チャンホにとっては好都合であった。チャンホは市場を“探検”することにした。まず一階から始めた。一階は食品を扱う店が主に入っている。その食品売り場には食材が溢れていた。

 店先に並べられた大きな塊の豚肉にまず度肝を抜かれた。そんな店がずらっと並んでいる。その先に毛を剥かれたニワトリが山のようにある。そしてその先にはこれまた毛を抜かれ内臓を抜かれた犬が丸のまま並んでいた。中国にはこんなに肉があるのかと驚かされた。

 その先は海産物のコーナーだった。これまた見たこともない魚や貝が並んでいた。魚と言えば北朝鮮では干物のミョンテ(スケトウダラ)しか見たことがなかった。チャンホが一番びっくりしたのは、水槽の中で蠢く大きな生きたカニだった。チャンホは全く知らなかったことだが、これらの水産物のほとんどは北朝鮮からもたらされていたのだ。海に面していない中国延辺自治州は、水産物を全面的に北朝鮮に依拠していた。北朝鮮の日本海側は有数の漁場で、そこからは日本の北海道とほぼ同じ種類の海産物が水揚げされる。しかしその豊富な水産物は、餓えにあえぐ北朝鮮の国民に供されることはほとんど無く、金正日一族の金庫を充たす外貨獲得の一環として、中国、ロシア、そして日本に輸出されていたのである。
(つづく)

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(取材・浪城暁紀 構成・小野登志郎)


 僅かな食料を携えたチャンホとその兄の二人は、叔母には何も告げず家を出て豆満江に向かった。12月になれば豆満江はカチンカチンに凍りつく。茂山付近では豆満江の川幅は狭いところでは40m位しかない。国境警備隊の隙を突けば中国に渡ることはそんなに難しいことではない。

 兄弟二人は、かねてより暇を見つけては豆満江の警備隊の配置や河の状況を確かめていた。そして、ここぞという場所を事前に決めていた。

 12月のとある夜、二人はその地点に向かった。河岸への到達は比較的容易である。問題は遮蔽物の無い20m程の川原と30m程の凍った河である。この50mを走りきれば中国にたどり着く。対岸に辿りつきさえすれば北朝鮮国境警備兵はもう手を出せない。この50mが生死を分ける距離であった。河岸の草むらに身を潜めた兄弟は警備兵のパトロールを待った。一度やり過ごせば暫くは安全な時間を確保できる。しばらくして4人のパトロール隊がやってくるのが闇夜を通しても判った。やがてパトロール隊は彼らの前を何事も無く通り過ぎていった。彼らは5分ほどじっとしていた。

 そしてまずチャンホが、そして続いて兄が川原へ向かって走りだした。チャンホが凍った河に到着したその時、後ろに続いていた兄が叫び声を上げた。石に躓いて転んだようだ。チャンホは焦る気持ちを振り払い、兄の下へかけ戻った。どうやら兄は足を挫いたらしく立ち上がれないでいた。

 その時、後ろのほうから「止まれ」という叫び声が聞こえた。警備兵が戻ってきたようだった。兄はチャンホに「お前だけでも河を渡り、オンマを探せ」と叫んだ。その声に我に返ったチャンホは必ず迎えに来ると兄に告げ、河へ向かって走りだした。無我夢中で走り何とか対岸までたどり着いた。河の向こうから兄を捕まえたらしい兵達の怒号が聞こえた。チャンホは後ろ髪を引かれながら河岸を離れた。

 中国の辺防に捕まると北朝鮮に送り返される。何はともあれ河岸から離れなければならない。チャンホは暗闇の中を河岸からはなれ、山のほうへ向かった。山裾に小さな小屋を見つけ潜り込み、そこにあった藁の中に身を潜めた。

 寒さはなんとか凌げた。チャンホはくたくたに疲れてはいたが中々寝付かれなかった。

 兄はどうしているだろうか。警備兵に捕まったとしても、子供だからあまりひどい仕打ちは受けないだろうと考え、何とか気を取り直した。何時か必ず北朝鮮に戻り必ず兄を救い出す。チャンホはその時、こう決心し、やっと眠りに着けたという。

 小屋に差し込む日の光でチャンホは目覚めた。時計など持ったことのないチャンホだったが、差し込む光の角度で昼近くだとわかった。昨夜は兄のことを思い、遅くまで眠れなかった。しかし一度眠りに着くと昨日の緊張から解放されたためか、思わぬ朝寝をしてしまった。

 最初に考えたのは、この小屋に誰かが来ないかということだった。誰かが来て見つかれば厄介なことになる。ともかく一刻も早く小屋を出て、山の中に隠れなければならない。まず、外で人の声が聞こえないか聞き耳を立てた。何も聞こえない。村人は昼食のため家にいるのだろうか……。

 とにかくそっと小屋の戸を開け、外に出て小屋の陰から周囲を窺った。心配をよそに近くに人の気配はなかった。考えてみれば今は12月で、農作業などしているはずもなかったのだが、そんなことにも気がつかないほど緊張していたのだ。周りに人がいないことを確かめると、チャンホは一気に山へ向かい駈け出した。そして竹藪の中に駆け込むと一息ついた。不思議なことにあまり空腹は感じなかった。今後のことを考え僅かな食糧には手を着けなかった。

 チャンホは竹藪の中に座り込み今後のことを考えた。とにかく母が働いている延吉に行こう。その為には、まず服と靴を調達しなければならないことに気付いた。自分の着ている服はあまりにみすぼらしく、一目でコッチェビと判ってしまう。かつてチャンホは、豆満江の川越しに対岸で遊ぶ中国の子供の姿を見たことがあった。彼らの服はピカピカで自分たちの物とは比べ物にならない物であった。あのような服を手に入れなければならない。

 チャンホは夜が来るのを待った。やがて、夜が来た。

 チャンホは竹藪を抜け出し村へ向かった。200mほど先に明かりが点々と見えた。その明かりを頼りに村へ近づいた。最初の家の傍まで来るとオンドルの煙が上がっているのが見えた。北朝鮮と同じような朝鮮家屋だ。延辺の農村は今でも、藁ぶきでオンドル付きの朝鮮家屋が少なくない。そしてこれらの朝鮮家屋は北朝鮮のそれとほとんど同じ構造をしているのである。

 明かりの着いた部屋からは、家族の談笑するする声がかすかに聞こえた。慎重に周囲を見渡したが外に人影はなかった。チャンホは物置と思わしき部屋に近づいた。そこには洗濯ものなどが置かれているはずだ。ドアに手を掛けた。手で引くとそれはスッと開いた。薄明かりの中で素早く物色する。しかしそこには洗濯ものは置かれていなかった。諦めきれず方々を探していると、靴があるのが見えた。子供用の靴がないかと探ると、あった。履いてみると少し大きいが、歩いたり走ったりするには不都合はなさそうだった。その靴を手にするとチャンホは部屋を出た。まずまずの“戦果”であった。

 チャンホは家を後にすると、暗闇の中で手に入れた靴に履き換えた。今まで履いていた朝鮮の靴は近くの竹やぶの中に投げ捨てた。さて、問題は服である。チャンホは一息つくと服を手に入れるため他の家に向かった。家の様子を窺っていると犬の唸り声が聞こえた。この家には犬がいる。吠えられたらまずいことになる。チャンホは早々にこの家から立ち去った。次の家には物置に偲び込めたものの目指す服は無かった。次の2軒も空振りだった。それが見つかったのは5軒目だった。この家族は大人数なのか山のような洗濯ものがあった。チャンホは夢中で洗濯物の山をかき分けた。そして子供服を見つけた。上着、セーター、ズボン、そして下着まであった。チャンホは慎重にそれらの中から自分に合いそうな一式を選び出し、それらを手にその家を後にした。再び村はずれの竹やぶに戻ると、さっそく着替えた。厚手の上着は特に有難かった。

 北朝鮮北部、そして延辺朝鮮族自治州の冬は厳しい。1月末から2月にはマイナス15度になることもある。そして雪もよく振る。この地方の冬を越えるのは大変なのだ。チャンホは故郷の街で、家を失い路上で暮らす人々が極寒の中で凍死しているのをよく目にしていた。この服のおかげでどうやら凍死からは免れそうだ。

 着替えが終わると、チャンホは闇夜の中を出発した。洗濯物が無くなっていることに気付いた人が騒ぎだす前に、この村から少しでも離れなければならない。延吉は北のほうにあると聞いた。それを頼りに北方へ向け歩き始めた。何時間歩いたのか判らないが、あの村から大分離れたことは判った。

 一息つくと急に疲れが出た。道を離れ山の中へ入ってしばらくしたころ、チャンホは休むのにちょうどいい岩陰を見つけた。チャンホはここで一夜を過ごすことにした。そこに腰を下ろすと急に空腹を感じた。昨日北朝鮮を出てから今まで何も口にしていなかった。少ない食糧だったが食べないと体が持ちそうになかったので食べるしか無かった。

 食べだすと止まらなかった。気がつくと持っていた食料のほとんどを食べつくしていた。しかしここは中国である。物の少ない北朝鮮とは違う。何とかなると気を取り直した。

 腹が満ちると眠くなった。周囲を見ると、そこはやや窪地で枯れ葉が溜まっていた。チャンホはこの枯れ葉をかき集め、その中に体を入れた。厚手の服と枯れ葉で寒さはなんとしのげた。

 明日はどうなるのか不安はある。しかしその時チャンホの胸の中にあったのはオンマ(母さん)に会えるという希望であった。その希望が不安を打ち消した。そして首尾よく服と靴を手に入れた安堵感の方が大きく、瞬く間に眠りに落ちた。

 その声に気付いたのは、眠りに就いたから数時間後のことであった。あまり遠くないところから何か声が聞こえた。その声がチャンホの眠りを破った。それは犬の遠吠えの様だった。野犬の群れが近くにいるのか? それともオオカミか? この地域は白頭山の山麓の森に近く、そこにはオオカミの群れが棲んでいることを聞いたことがあった。

 チャンホは一気に緊張した。野犬でも相当に危険だが、オオカミだったら万事休すだ。その遠吠えはやや遠ざかっているように思えたが、とても安心出来る状況ではなかった。

 その夜は結局それから眠ることはできなかった。明け方近くになりその声は聞こえなくなった。安堵感がどっと溢れた。と、同時に睡魔に襲われ、チャンホは深い眠りに着くことになった……。
(つづく)

 

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