小野登志郎のブログ

出版・ウェブの制作会社(株)小野プロダクション代表で、ノンフィクション・ライターの小野登志郎です。徒然にゆる~く書いていけたらと思ってます。

2012年08月

■アメリカ在住のライター、内藤茗さんからのお手紙です。今後、可能な範囲で往信していきたいと思います。


 
 小野さん、お元気でいらっしゃいますか? お腹出して寝てませんか? 寝冷えしないように、可愛い腹巻、イマドキ男子の必需品ですからネ(笑)。

 この2ヶ月くらいに渡り、J-POPやK-POPのこれからを考える上で、アメリカンポップ界にちょっと面白いことが起こっていますよ。

 それはズバリ「ボーイバンドの復活、オタクマーケティングと魔法の数字」です。

 ここ数年、たぶん10年近くに渡り、北米ポップアイドル界は女性なら、ガガやケイティ・ペリー、男性ならアダム・ランバートなど、ソロ歌手の活躍が目立っていました。一時は全盛を誇ったボーイズグループのファン層が低年齢化して、ミドルティーン、ハイティーンを惹きつけるに至らなくなったのは、ジョナス・ブラザースあたりからかなと思います。8歳から12歳くらいまでのプリ・ティーン市場で少女たちの圧倒的な人気を獲得していたジョナス・ブラザースの人気が冷え込んでからは、ここ数年、本格的な後続ボーイズグループも出ず、「ボーイバンドは死んだ」とも言われていたくらいです。モンキーズを生んだボーイバンドの元祖とも言えるアメリカポップ界でボーイバンドが死に絶えてしまったかも?

 それが2010年から2011年にかけてK-POP勢が侵入を始めた後に、雰囲気は変わってきたように思えます。まず、K-POPのボーイバンドを外見だけコピーしたかのような、Heart2Heartというグループが2011年頃から活動を始めますが、「これは、ゲイ・ポップだ」だとか「女の私より沢山化粧品使ってる」とか、野次ばかりが多く、まともに相手にされませんでした。

 最初に断っておかなければいけないことは、とりあえず北米では、ポップミュージック市場に限らず大人と子供の消費者市場にはかなりはっきりとした線引きがあるということ。映画のコード分類等を見てもわかりますが、あきらかな「性」や「暴力」などが子供市場から積極的に排除されます。

 ポップミュージック市場において、ボーイズグループの属性というのはどちらかと言えば、「お子様むけ」であり、日本のように30代以上の熟年女性がボーイズグループの購買層の中心帯を形成する等ということは、まあ考えられません。子供たちは大人になる過程で、これらの「シュガーポップ」を捨てていきます。ちょうど可愛らしい熊のぬいぐるみを捨てるように。ハイティーンになった子供を「大人になったね」とからかうのに、昔聞いていたボーイズグループのCDを引っ張り出せば、彼ら、彼女らはとんでもなく恥ずかしがります。

 そんなふうに恥として捨てられていくアイドルたち。日本で生まれて育って、日本的なアイドル鑑賞に慣れている自分からしたら、「もったいない」「つまらない」と思うわけですが、それが北米アイドル市場の在り方と言ってしまえばそうなのです。

 さて、そのボーイバンドの復権ですが、現在三つ巴の大乱戦です。まずは、今年2月頃「The Wanted(ジ・ウォンテッド))という英国、アイルランド混成の5人組から攻勢は始まりました。オーディションで選ばれた彼らは、ボーイズグループとしては、ちょっと大人めな19歳から24歳まで(平均年齢22歳)のグループ。2010年のデビューから昨年にかけては、主にに英国が拠点のグループだったのですが、今年からの全米ツアー開始とともにじりじりとチャートを上ってくるようになりました。革ジャンや、黒、グレー基調の衣装に包まれたメンズモデルっぽいセクシーな容姿と大人っぽいサウンド、ちょっと不良っぽいイメージに男らしいヴォーカルは一時期不毛だったハイティーン市場に殴り込みをかける勢いがあります。

 その後に続いたのが5月後半に全米デビューの「One Direction(ワン・ダイレクション、 通称1D)」です。こちらも英国出身の5人組。年齢は「The Wanted」より低くなって18歳から20歳まで。平均年齢19歳の彼らは打って変わって可愛らしい容貌が売りのグループ。とはいえ「X-Factor」というオーディション番組をそれぞれ単独で勝ち抜いた5人は、とにかく歌が上手い。ダンスはまあまあという評判ですが。キャッチーな楽曲にも恵まれ、全米デビューアルバムが初登場1位をビルボードで記録したのはもちろん、特筆すべきなのは彼らのツアーDVDの売上げが凄まじい。つまりビジュアルにもかなり力点有りという事です。爽やかで、普通に可愛らしく、あまり男オトコした感じのないスタイリング。日本の女の子からも、かなり食いつきが良さそうで、そろそろあちこちで火の手が上がっているようですね。  

 彼らのマーケティング手法は、かなり面白い。まず、デビューまもなくから、書籍を3冊続けて刊行。彼らについての「バイブル」をファンに持たせることに成功しています。

 強調したいのは、彼らのファンダム。これがまた凄いのです! 現象を起こしつつあります。大きく分けて、今2種類のファンが認知されているのですが、ひとつは「ダイレクショナー」という名称で、彼らの最初からの古参のファンである事がまずひとつの条件。そして音楽性の高い、グループとしての彼らを深く愛し抜く、という掟めいたものが存在するらしい。

 それに対する「ダイレクショネイター」。こちらは新規ファンをまず指します。またグループの中の誰かを「醜い」、「歌が下手くそ」と貶すようなファンあるいはメンバーの集合体として彼らを愛するのでなく、彼らの中のだれかひとり或いは数名の「容姿」などにしか興味のない「浅い」ファンを指す。これにはかなりの軽蔑感情が含まれるようです。もちろんファンたるもの「ダイレクショナー」が正統、というわけですが、何かかなりのオタク度の高さじゃないですか、これは。


 また彼らには既にメンバー同士のカップリングを題材にしたファンフィクション(FF)も沢山書かれているみたいで、最近増えつつあると言われるアメリカの腐女子購買層に、かなりがっつりと食い込んでいるところも、今までの欧米系ボーイバンドとは1線を画したオタクっぽさですね。でも、よく考えるとこれってジャニーズやK-POPのボーイズグループでは既に常識になっている手法ではないですか(笑)。 

 ですが、一生懸命参入を試みている肝心のK-POPのボーイズグループは子供マーケットか大人マーケットかの戦略策定が傍目にも難しく、しかも外国人歌手には言葉の壁と人種の壁が存在します。差別だなんだと言う前に人間の生理として、我われは自分たちに姿かたちが似ているという事実を無意識に好みます。アーティスト、というハードを輸出しようとするK-POPの北米上陸には、目に見える彼らの姿形、「人種」はやはりかなりのハードルかもしれません。そしてK-POPが進出に手こずるように見えているうちに、十八番の筈のオタク的マーケティング手法そのものはワンダイレクションとともに北米に上陸してしまった、という感じがします。なにせ、1Dのレーベルはソニー・ミュージックでも有りますし。

 そして、最後に「来てる」のが「IM5(アイムファイブ))です。彼らはワンダイレクションよりも更に若い14歳から17歳までの5人組。あの、セレブブロガー&音楽ジャーナリストとして有名なペレス・ヒルトンとアメリカンアイドルのサイモン・フラー、ジェイミー・キングによる企画ものです! 

 まだまだ新しいので、資料もろくに揃っていません。ですから人気のほどは、数字の上では未知数です。ですが、YouTubeには既にかなりの数の動画が上がっています。彼ら自身による自己紹介や、練習の様子、他アーティストのカバー曲、オフショット動画などが普通に見られる。

 実は私も何の予備知識もなく、「ねえ、この新しいボーイバンドダンス結構うまいよ」などと娘がいうので見てみたわけなんですが。「ダンス出来るじゃん」と。アメリカのポップアーティストの「ダンスのできなさ」にこのところ慣れすぎて、ダンスはK-POPと決め込んでいた私は半信半疑でしたが、なんとかなり踊れるではないか!

 1年ほど前から全米をオーディション行脚して発掘、5色の異なった音楽的才能、文化背景、個性が集まったグループが売り。そしてダンスがとにかくハイレベル。1年以上の訓練期間を積んできたようです。なのでデビュー前にかなり音楽、ダンス技術などは「作りこんで」ある感じです。ただどちらかというと見た目は、そこらへんにいる普通のティーンエイジャーという感じで、あまり洗練された感じは見えません。ぶさかわ系というか(失礼ですよね、私)。

 ただ、ここで思ったのは、北米市場においてはたかが「オモチャ」であった筈のボーイバンドに対して、デビュー前にこれだけの訓練、作り込みをする方式は、もしやまたもやK-POPの影響によるもの? しかも、本格デビュー前から完全なるYouTube世代であるティーンエイジャーの取り込みを促すように、かなりの本数のカジュアルな動画が動画サイトで流される。

 ペレス・ヒルトンは、K-POPを愛好していることでもよく知られていますし、今だと、芸能界のご意見番みたいな位置に居ます。彼に気に入られないと人気も出ない。彼はそれこそ、K-POPアイドルの「作り方」なんかももちろん知っているものと想像できるのですが、それを踏まえて企画されたこのグループはどう受け入れられていくのかな? 訓練して完成させるだけではなく、その様子を公開するというのは、もしかしたら「育てる」事を好むJ-POPの手法も取り入れるということなのかも。

 そして、偶然なんでしょうか、それとも必然かしら……。彼らは全て5人組であるということなのです。5はアイドルグループの魔法の数字と昔からよく言われますよね。SMAP、嵐、Back Street Boys、スパイスガールズ、KARA。いろいろ思い浮かびます。

 とりあえずこの乱戦は1歩先の「現象」を手に入れつつある1Dことワンダイレクションが、頭一つ抜け出ている状況でしょうか。とにかく、久しぶりにポップ市場に帰ってきた、この3つのボーイバンドから今目が離せない状態なのです!


ライター 内藤茗(ないとう・めい)
米国在住。ポップカルチャー全般が好きな二児の母&学生。
趣味:オタクの生態観察とつべめぐり。英-日翻訳者。

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▼第08号
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                       2012/08/23
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  ノンフィクション・ライター小野登志郎のメールマガジン
    ~牡羊座が見たディープな出来事とスターたち~
Vol.08

毎週木曜日発行
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【今週の目次】
0.スーパージュニア・シウォンの「独島」ツイで、エイベックスに右翼団体が抗議活動!?
1. 『トヨタの中国吉林省進出に秘められた思惑とは』
2.対中国戦略①『ベトナムで成功する日本企業。鍵は“人治”への理解にあり』
3. 『韓流爺やの韓国エンターテイメント散歩』(浪城暁紀)
4. 『わたしが出会った北朝鮮人』
5. 『極私的・最先端萌えコンテンツ事情』(中村直人)
6. 『中国・台湾の芸能最新事情――日本に「華流」「台流」ブームは来るのか』(松野幸志)
7. 『古くて新しい電子書籍“ビジュアルノベル” 「選択肢とルチエンディング」前編』(KENT)
8. 小説『名をば捨てよ――武田信玄暗殺計画』(横山茂彦)
9. 『あわいの小骨』短編小説「看病」(伊藤螺子)
10. 『松田健嗣の建築よもやま話』(松田健嗣)
11. 『東方神起とJYJについて 東方神起の誕生』
12. 『続・龍宮城 果てしなき日中闇のオセロゲーム』日本の警察VS不良中国人組織②
13. 対中国戦略②『モンゴルと日本の互恵関係構築の道のりとは?』
14. 編集後記


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「小野登志郎のチャンネル」http://www.youtube.com/channel/UCWfQ8NXL_2fSfUiAoxqbP6Qに北朝鮮の内部映像をアップしました。
 内容は下記です。是非ご照覧ください。

■アリラン祭影像1~4
①    アリラン祭1
北朝鮮平壌では今アリラン祭が開かれている。アリラン祭は北朝鮮の国威発揚の場であるとともに、現在では中国人を主とした観光客を呼び込み外貨を獲得する手段として大々的に行われている。北朝鮮関連のニュースなどで時折見かけるが詳しい内容はあまり見たことがない。小野登志郎のチャンネルでは中国の友人が撮った映像を入手した。2005年とちょっと古いが、この年は日本が降伏し北朝鮮が独立を回復してから60周年に当たる年でありアリラン祭は相当の規模で行われた。従ってアリラン祭を語る上では外せない年である。撮影者は個人の趣味のレベルで撮っており、今回が初公開である。
 正面の客席でくり広げられる巨大な一文字は見ごたえがあるが、やっている方はもし間違ったりしたら収容所送りになるかもしれない大変な作業であろう。

②    アリラン祭2 子供のショー
 映像2はアリラン祭における子供の演武の模様が撮影されている。子供たちの演技は“みごと”である。この子達を訓練するのは大変だったであろうが子供たちは一生懸命やっていて、その姿は痛々しいほどである。ここに登場する子供たちのほとんどが、労働党や政府関係者の姉弟である。彼らにとってはこの祭りへの参加は義務なのであろう。

③    アリラン祭3 青少年の演武
 子供の演舞に続くのが青少年の演舞である。これは高度な組体操のようなものである。演舞のレベルは高いが、この練習に取られる時間は相当なものだろう。オリンピックでもそうだがスポーツは北朝鮮では国事行動で個人がとやかく言えるものではなく、ただ従うだけのものに過ぎない。北朝鮮の青少年は楽ではないのである。

④    アリラン祭4
 ここからは大人の演舞である。北朝鮮のトップクラスの歌手やダンサーが出演していれ演技レベルは高い。参加している女性は美人ぞろい。アップが少ないのでその顔がはっきり確認できないが、歌手の中にもしかしたら金正恩の夫人がいるかもしれない。

⑤平壌市内観光映像北朝鮮の観光地
 これは2008年に撮影者が平壌観光ツアーに参加した時撮った映像である。この平壌の観光コースを回っている様子が撮られている。観光地はお馴染みのもので新味はないが、街を歩く人々の服装などフアッション、路上の売店などからなどから当時の平壌の暮らしの一端が伺える。

⑥妙香山から平壌市内へ
 この映像は北朝鮮の観光地妙香山の様子から始まっている。風光明媚な風景、宿泊施設、売店などの情報が含まれている。画面に出てくる博物館のようなものは各国の故金日成主席を”尊敬”する諸外国の人々が主席に送った品物の数々が飾ってある。この中に北朝鮮出身の力道山が金日成主席に送ったベンツが飾られているというが残念ながら映像には出てこない。
 観光団はそのあと車で平壌に向かう。
 平壌では地下鉄に乗る様子が撮影されている。地下鉄駅の過度の装飾など意味のないムダが多いのがよく判る。

(取材 浪城暁紀 構成 小野登志郎) 
 
 そんなこととは何一つ知らないチャンホは、服売り場、雑貨売り場、電気製品売り場を回った。そこでも驚きの連続だったが、それに触れることはあまりにも空しいのでこれ以上は書くのをやめよう。

 夕方の6時を過ぎると店のほとんどは閉まる。残るは付近のフアッション・ビルや食堂のみである。食堂の証明に浮かび上がる色とりどりのメニューを眺めならチャンホはひたすら時が過ぎるのをまった。


 夜が更けてからは、オモニが働いていたという食堂の裏で昼間会ったアジュンマ(おばさん)が出てくるのをひたすら待った。


 やがて食堂の明かりが消え、裏口からアジュンマが現れた。アジュンマはチャンホを促し、歩き出した。どこへ行くのか不安だったが、もはやチャンホには、彼に付いていく他、成す術がなかった。

 

 20分ほど歩いただろうか、アジュンマはチャンホを先導してある家に入って行った。そしてその一室のドアを開けた。そこは小さな部屋で2段ベッドが二つ並んでいた。中には女の人が二人いた。アジュンマは彼女らにジョンスク(チャンホの母の名前)の息子が訪ねてきたと告げた。二人のアジュンマは頷いただけだった。

 アジュンマはチャンホに座るように言い、台所に立ってラーメンを造ってくれた。早くオモニのことを聞きたかったが。進められるがままにチャンホはラーメンを食べた。これまた経験したことのない味で、とても美味しかった。お腹が空いていたチャンホ残すことなく平らげた。

 一息つくと、マジュンマはオモニのことを語り出した。既に判っていたことだがオモニはあの店にはいなかった。アジュンマが語るところによると、チャンホのオモニは2ケ月程前に店を辞め、黒竜江省の牡丹江市に働きに行ったというのだ。

 牡丹江市には朝鮮族のコミュニテイがあり、そこで身分を偽り働いている脱北者も少なくない。当時は国境沿いの延辺とは違い、脱北者の取り締まりもあまり厳しくなく脱北者には働き安い場所だった様である。とにかくオモニはそこに行ったのだと言う。

 アジュンマは、幼い身で脱北までしてオモニを訪ねてきたのに残念だろうね、と慰めてくれた。アジュンマによれば延吉から牡丹江までの距離は300キロもあるとのことであった。列車が通っているが、脱北者の少年が一人で行くのは不可能だと告げ、諦めて北朝鮮に戻ることを勧めた。チャンホは頷くしかなかった。アジュンマはあのベッドはジョンスク(チャンホの母)が使っていた。今は空いているから、今夜はあのベッドで寝なさいと言ってくれた。

 チャンホは恋しいオモニが寝ていたベッドで一夜を過ごした。布団からオモニの匂いがしてくるようで、恋しさが募り、涙が止まらなかったという。

 翌朝、アジュンマ達に丁重に礼を言い、その部屋を辞した。その足でチャンホはすぐに駅に向かった。チャンホはオモニのことを諦める気は毛頭なかったのだ。

 チャンホは、この時延吉から牡丹江市に向かう貨物列車に潜りこみ、かの地へ行きオモニを探す気でいた。そして駅の構内で牡丹江行きの貨物列車を探したのだ。

 あの優しいハルモニに貰った150元を小出しに使いながら飢えをしのぎ、時を待つことにした。チャンスは意外に早くやってきた。牡丹江という標識を付けた貨物列車を見つけたのだ。その夜、チャンホは貨物列車に向かい、適当な貨車を見つけて潜り込んだ。明け方、列車が動きだした。

 アジュンマに聞いた所では列車で8時間くらいかかるとのことだが、貨物列車ならもっと遅いであろう。標識に牡丹江行きと書いていたからには、牡丹江は終点だろう。列車が止まり、それ以上動かなくなってから降りればいい。

 何時間経ったか判らない。夜には列車はそれ以上動かなくなった。ここが牡丹江であることは間違いなかった。とにかく降りて駅に行くことにした。駅舎には「牡丹江駅」と朝鮮語の表記があった。この街のどこかにオモニがいる。その希望でチャンホは少しも疲れを感じなかった……。
(つづく)

 (有料メルマガhttp://www.mag2.com/m/0001552211.html に掲載した記事です)

 (取材 浪城暁紀 構成 小野登志郎)

■北朝鮮の人々が脱北に走った主なる要因は食糧難

(⑥からつづく)

 チャンホのオモニが子供たちを親せきに託して脱北した要因は食料確保のための金稼ぎであったと思われる。

 ここでこの頃の北朝鮮の食糧事情について触れておくことにしよう。

 この時期の北朝鮮の食糧事情と脱北とな関連を考察した文書に2006年中国の日本大使館が出した「「脱北者問題をめぐる近年の北朝鮮の動向」がある。「1990年代以降の社会主義圏の崩壊と、それにつづく北朝鮮の国際的孤立、「主体農法」に代表される農政の失敗により、北朝鮮経済は極度に悪化した。その後、1995年から97年にかけて発生した水害と旱魃により、大規模な飢餓が発生、200万人から300万人と伝えられる餓死者、10万人から30万人と推計される難民が発生、「生存のため」に中朝国境を越える脱北者数が急増した」と分析している。

 さらに「脱北者問題発生の要因」と言い項では「ロ.経済的要因」で「1990年代後半に脱北者数が急増した背景には、経済難による住民の生存権の確保の問題が挙げられる。配給制度の崩壊と、闇市場の急速な拡大、それに伴う物価の急激な上昇は1995年以降の北朝鮮社会の変化を象徴的に表している。2002年7月以降、配給制度の見直し、給与の大幅な引き上げ、企業所の独立採算を柱とする『経済管理改革措置』が施行されている。各企業所が自主的に価格を決定できるというのは、一見市場経済を導入した合理的判断のように見えるが、物不足のまま価格を大幅に引き上げたことにより、局の意図を超えた大幅な値上がりが発生した。給与は引き上げられても、豊かになるという実感はない生活感覚となっている。北朝鮮では「経済管理改革措置」の実施以降、急激なインフレが起こっていると伝えられている」と分析している。

 そして、脱北者を亡命型と生活脱北型に分け、生活型について「北朝鮮の経済状況は1998年頃が最悪であったが、2000年以降は改善の傾向が見られるようになったといわれる。しかし、これは最低限のカロリーが摂取できるという程度で、食糧を含む全ての物が不足している状況に大きな変化はなかった。食糧価格は高騰し続け、公的配給制度は麻痺したままであった。住民間の貧富の差が急速に広がったのもこの時期の特徴である。

 

 その結果、それまでの生きるために食料を求めて脱北してくる形態から、よりよい生活環境を求めて自発的に移住(移民)する形態へと脱北の性格が変化してきた。ある程度のリスクを覚悟してでも中国に渡り、現地で就職し、生活基盤を築く者、結婚して家庭を持つ者等、脱北の目的が多様化するようになった。生活向上や子弟の教育環境改善を望んで、脱北する者もいるという。これらの脱北者の多くに共通して言えるのは、北朝鮮に残っている家族に経済的な支援(仕送り)をしている点、脱北者自身も北朝鮮と中国の間を頻繁に行き来している点である。

 近年は中国国境地域での取り締まり強化により、この地域の脱北者数は減少の傾向にある。既存の脱北者たちは、黒竜江省、山東省をはじめ、浙江省、貴州省など内陸の方へも移動し、偽造の身分証や他人の戸籍の売買を通じ、中国国籍を取得し、中国に定着する段階にある。」筆者が延吉で接触した脱北者の大半が在中国日本大使館が指摘する生活型脱北者であった。筆者の経験からしてこの指摘は、的を得ているように感じられる。

 食糧を買う金を稼ぐために中国に渡ったチャンホの母は、まさにこの生活型の脱北者であったのだ。

■オモニ(お母さん)を探して黒竜江省牡丹江市へ

 翌朝、チャンホは起きるとオモニを探すため街に中に向かった。初めて見る延吉の街は、街中にハングルと漢字を列記した看板の並ぶ不思議な街だった。朝鮮のようでもあり中国の様でもあった。

 街中からは聞きなれた朝鮮語が聞こえてきた。中国語も聞こえてきたがもちろん何を言っているか判らなかった。叔母が言うにはオモニは、延吉の西市場という所にある食堂で下働きをしているとのことだった。

 街中の屋台などで朝鮮語を話している人物を見つけ西市場の位置を聞いた。そのアジョシ(おじさん)は何の疑いのそぶりも見せず道を教えてくれた。アジョシ(おじさん)の教えてくれた通りに西市場を目指した。そして、ついに西市場に到達した。チャンホにとってそこは、とてつもなく大きな市場であった。故郷の茂山にも自由市場があり、行ったことがあるが、それに比べたら雲泥の差であった。

 市場の中に歩みを進めた。そこには屋台が軒を連ね、見たこともないような品物が並んでいた。チャンホはここでも自分の国がいかに貧しいのかを思い知らされた。

 市場の裏手に回るとアジュンマ(おばさん)たちが列をなして路上の座り込み、目の前に品物を並べ「買った、買った」と朝鮮語で声を上げていた。これは北朝鮮でも見慣れた光景であった。そこはまさに朝鮮世界であった。チャンホは中国に来ていることを忘れたかのようにアジュンマ達の間で飛び交う朝鮮語に聞き入っていた。

 そのアジュンマの一人に、この間チャンホが大事に持っていた、叔母が書いてくれた住所を見せた。そして、この店はどこにあるのかを聞いた。そのアジュンマは自分は近くの農家から来ているから判らない。近くに並ぶ店に聞けば判るだろうと教えてくれた。

 朝鮮料理のメニューが書かれた写真が並ぶ店を見つけ、店員に探している店について聞いた。店員はすぐ近くにあると教えてくれた。やっとオモニに会える。チャンホの胸は希望に溢れた。

 そしてその店はすぐに見つかった。オモニはこの店で下働きをしているという。チャンホは店の裏に回った。ちょうど裏口から一人のアジュンマが出てきた。オモニか!チャンホは思わず駆け寄った。しかしそれは見知らぬアジュンマだった。チャンホはこのアジュンマに母のことを知らないかと聞いてみた。最初、警戒感を露わにしたこのアジュンマは、チャンホが北朝鮮から来た事をすぐに見破ったようだ。つまり、彼女もまた脱北者であったのである。

 そのアジュンマはチャンホに今は忙しいから、店が引ける夜10時過ぎにもう一度来るように告げた。その様子からチャンホはこの店に現在オモニがいないことに気付いた。しかしこのアジュンマはオモニのことを知っているようだ。

 チャンホは夜もう一度来ると告げて、市場の方へ戻って行った。市場は広く、全部見るには大変な時間が掛かりそうだったが、時間を潰さなければならない。チャンホにとっては好都合であった。チャンホは市場を“探検”することにした。まず一階から始めた。一階は食品を扱う店が主に入っている。その食品売り場には食材が溢れていた。

 店先に並べられた大きな塊の豚肉にまず度肝を抜かれた。そんな店がずらっと並んでいる。その先に毛を剥かれたニワトリが山のようにある。そしてその先にはこれまた毛を抜かれ内臓を抜かれた犬が丸のまま並んでいた。中国にはこんなに肉があるのかと驚かされた。

 その先は海産物のコーナーだった。これまた見たこともない魚や貝が並んでいた。魚と言えば北朝鮮では干物のミョンテ(スケトウダラ)しか見たことがなかった。チャンホが一番びっくりしたのは、水槽の中で蠢く大きな生きたカニだった。チャンホは全く知らなかったことだが、これらの水産物のほとんどは北朝鮮からもたらされていたのだ。海に面していない中国延辺自治州は、水産物を全面的に北朝鮮に依拠していた。北朝鮮の日本海側は有数の漁場で、そこからは日本の北海道とほぼ同じ種類の海産物が水揚げされる。しかしその豊富な水産物は、餓えにあえぐ北朝鮮の国民に供されることはほとんど無く、金正日一族の金庫を充たす外貨獲得の一環として、中国、ロシア、そして日本に輸出されていたのである。
(つづく)

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