(取材 浪城暁紀 構成 小野登志郎) 
 
 そんなこととは何一つ知らないチャンホは、服売り場、雑貨売り場、電気製品売り場を回った。そこでも驚きの連続だったが、それに触れることはあまりにも空しいのでこれ以上は書くのをやめよう。

 夕方の6時を過ぎると店のほとんどは閉まる。残るは付近のフアッション・ビルや食堂のみである。食堂の証明に浮かび上がる色とりどりのメニューを眺めならチャンホはひたすら時が過ぎるのをまった。


 夜が更けてからは、オモニが働いていたという食堂の裏で昼間会ったアジュンマ(おばさん)が出てくるのをひたすら待った。


 やがて食堂の明かりが消え、裏口からアジュンマが現れた。アジュンマはチャンホを促し、歩き出した。どこへ行くのか不安だったが、もはやチャンホには、彼に付いていく他、成す術がなかった。

 

 20分ほど歩いただろうか、アジュンマはチャンホを先導してある家に入って行った。そしてその一室のドアを開けた。そこは小さな部屋で2段ベッドが二つ並んでいた。中には女の人が二人いた。アジュンマは彼女らにジョンスク(チャンホの母の名前)の息子が訪ねてきたと告げた。二人のアジュンマは頷いただけだった。

 アジュンマはチャンホに座るように言い、台所に立ってラーメンを造ってくれた。早くオモニのことを聞きたかったが。進められるがままにチャンホはラーメンを食べた。これまた経験したことのない味で、とても美味しかった。お腹が空いていたチャンホ残すことなく平らげた。

 一息つくと、マジュンマはオモニのことを語り出した。既に判っていたことだがオモニはあの店にはいなかった。アジュンマが語るところによると、チャンホのオモニは2ケ月程前に店を辞め、黒竜江省の牡丹江市に働きに行ったというのだ。

 牡丹江市には朝鮮族のコミュニテイがあり、そこで身分を偽り働いている脱北者も少なくない。当時は国境沿いの延辺とは違い、脱北者の取り締まりもあまり厳しくなく脱北者には働き安い場所だった様である。とにかくオモニはそこに行ったのだと言う。

 アジュンマは、幼い身で脱北までしてオモニを訪ねてきたのに残念だろうね、と慰めてくれた。アジュンマによれば延吉から牡丹江までの距離は300キロもあるとのことであった。列車が通っているが、脱北者の少年が一人で行くのは不可能だと告げ、諦めて北朝鮮に戻ることを勧めた。チャンホは頷くしかなかった。アジュンマはあのベッドはジョンスク(チャンホの母)が使っていた。今は空いているから、今夜はあのベッドで寝なさいと言ってくれた。

 チャンホは恋しいオモニが寝ていたベッドで一夜を過ごした。布団からオモニの匂いがしてくるようで、恋しさが募り、涙が止まらなかったという。

 翌朝、アジュンマ達に丁重に礼を言い、その部屋を辞した。その足でチャンホはすぐに駅に向かった。チャンホはオモニのことを諦める気は毛頭なかったのだ。

 チャンホは、この時延吉から牡丹江市に向かう貨物列車に潜りこみ、かの地へ行きオモニを探す気でいた。そして駅の構内で牡丹江行きの貨物列車を探したのだ。

 あの優しいハルモニに貰った150元を小出しに使いながら飢えをしのぎ、時を待つことにした。チャンスは意外に早くやってきた。牡丹江という標識を付けた貨物列車を見つけたのだ。その夜、チャンホは貨物列車に向かい、適当な貨車を見つけて潜り込んだ。明け方、列車が動きだした。

 アジュンマに聞いた所では列車で8時間くらいかかるとのことだが、貨物列車ならもっと遅いであろう。標識に牡丹江行きと書いていたからには、牡丹江は終点だろう。列車が止まり、それ以上動かなくなってから降りればいい。

 何時間経ったか判らない。夜には列車はそれ以上動かなくなった。ここが牡丹江であることは間違いなかった。とにかく降りて駅に行くことにした。駅舎には「牡丹江駅」と朝鮮語の表記があった。この街のどこかにオモニがいる。その希望でチャンホは少しも疲れを感じなかった……。
(つづく)

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