ところで、さっきから当たり前のように五人の名前を連呼しているが、読者の方は五人の姿がちゃんと思い浮かんでいるのだろうか。五人のファンの方はもちろん、鮮明にと言うほかないくらい彼らの姿が浮かぶだろう。でも、東方神起という名前は知っているけれど、メンバーの顔とかはよくわからない、という人もいるかもしれない。実はわたしがそうだった。ほんの一年半ほど前まで、わたしは五人の名前も、どれが誰かなのかも全くわからなかった。というよりも、五人とも同じ顔に見えて、判別できなかった。よく、異なる人種の顔は見慣れていないので判別しにくいというが、「イケメン」という人種と接する機会の少ないわたしとしては、「イケメン」はあくまでも「イケメン」で、みんなおんなじなのだった。そこでまずは、彼らの立ち位置で名前を「照合」することにした。

「真ん中はジェジュン、その右隣は……」

 というように。彼らのデビュー当初からのファンたちは、わたしが映像を見ながら「彼はジュンス」と当てると、「よくできました!」と、からかいながら褒めてくれたりもした。ただ、立ち位置はときどき変わるし、そもそもアップの写真とか映像では「照合」できないので、覚えるのを諦めかけた。しかし、不思議なことに、覚えるのを諦めると、彼らの仕草や声、バラエティ番組で見せる「持ちネタ」などから、五人の姿と名前が判別できるようになっていった。要するに、わたしはいつのまにか、東方神起にはまっていたのだ。

 わたしが彼らに興味を持った時、その時は既に彼らは「分裂」していた。分裂していたどころか、一方のグループJYJは、エイベックスと激しく争っていたのである。

 韓国のJYJの代理人イム・サンヒョク氏は、東京地裁に提出された2012年6月16日付けの陳述書において、下記のような記述をしている。

「1 本件専属契約を締結した経緯について

(1)当職は、C-Jesの代表者であるペク・チャンジュ及びJYJの3人から、エイベックスとの間で、JYJの日本におけるアーティスト活動に関するマネジメント契約を締結することになったので、C-Jesの代理人としてエイベックスとの交渉を行って欲しいと頼まれ、2009年12月16日、エイベックス側の人達(エイベックス経営企画室取締役の阿南雅浩及び韓国人スタッフのペク・スンジン、エイベックスの法律代理人である日本TMI法律事務所1のチョ・キィチャン担当弁護士)と会い、契約の内容について、最初の打ち合わせを行いました。それ以後は、メールで契約内容を詰める作業を行い、2010年2月26日、エイベックスとC-Jesとの間のJYJの日本におけるアーティスト活動に関する専属契約(以下、「本件専属契約」と言います。)を締結することとなりました」

 2009年12月16日はもちろん、2010年2月26日にも、わたしは彼らのことをほとんど知らなかった。

 しかし、この日付が何を意味するのか、少しずつだが分かってくる。

 わたしが彼らの名前や顔を覚えていったのは2011年に入ってからだと先に書いた。そして、彼らのことをいったん覚えると、不思議と忘れることができなくなってしまった。

 そういうファンは多いのではないかと、わたしは想像している。東方神起はいつのまにか日本でCDを出し、日本のテレビに出演して、レコード大賞を取ったり、紅白歌合戦に出たりした。つまり、いつのまにか、日本人の生活の中に浸透していったのだ。それも、日本語で歌を歌い、日本語でテレビに出演することによって。

 確認のために言っておけば、日本語を母国語とする者にとっても、それを成し遂げることは、奇跡というほど恐ろしく難しい。まして韓国という「異国」から乗り込んできて、それを成し遂げるなど――ペ・ヨンジュンによって形づくられた「韓流」という下地があったにせよ――、誰もが不可能なことだと考えていたことだろう。あのビートルズですら、日本で公演を行ったときには、あくまでも一部の人間によるものだが、「ビートルズ・ゴー・ホーム」と野次を飛ばされ、批判する者や、脅迫する者すらいたのだ。

 わたしは個人的に、ビートルズは世界で初めて、歌によって国境を越えたバンドだったと思っているが、そのビートルズでも越えられない壁があった。誰しもが少しずつ持っている、異質なものに対する反発心だ。その裏には、文化の違い、人種の違い、もっと言えば、国家同士による殺戮の歴史が、決してぬぐい去れない記憶として横たわっている。それはとても深い傷痕だ。もちろん、東方神起の背後にも、そういったものがないわけではない。日本と韓国の間には深い闇が横たわっているし、それは今後も簡単には消えることがないだろう。でも、東方神起は魔法のようなダンスと歌でそれを一瞬にして飛び越え、わたしたちの前に現れた。とはいっても、深い闇が消えたわけではない。だが、東方神起はあまりにも強い光を放ち、その深い深い闇をかすかに照らすことができたのだとわたしは思っている。

 だからまずは、彼らが光り輝く瞬間を見よう。それはあまりにも強く光りすぎたために、光り続けるための持続力を持っていなかったのではないかとすら勘ぐりたくなる。でも、それはわたしの考えすぎかもしれない。ともかく、まずは彼らを正面から見てみないといけない。
(つづく)

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http://www.mag2.com/m/0001552211.html 2012年7月19日号に掲載した記事に少し手を加えました)