■第一章 鎮魂歌

 いわゆる「東方神起事態」を知らない方には、いささか唐突かもしれないが、一つの裁判資料を掲載したい。
 東京地裁に提出された、2012年6月16日付けのC-JeS社代表ペク・チャンジュ氏の陳述書は、エイベックスを下記のように強く弾劾する。

「5 活動休止後の経緯

 こうしてエイベックスは、2010年9月16日、一方的に、JYJの「活動休止」を公表しましたがそれ以前の同年6月からJYJのマネジメントを全面的に休止しました。唯一、それ以前に既に出演を決めていた「a-nation10」に同年8月に参加させてもらいましたが、それ以外には、本件専属契約に基づく一切のマネジメントをエイベックスは放棄したのです。

 エイベックスの行動は、JYJや日本のファンの気持ちをまったく顧みず、自社の利益のみを追求する、誠に許し難いものでしたが、JYJの日本での活動を最優先して考えれば、エイベックスに譲歩して、合意契約をしてもらうほかありませんでした。そこで、当社は、代理人弁護士を通じて、エイベックスに対し、和解金1億円を支払うので、専属契約を合意解除してほしいとお願いしましたが、エイベックスは拒絶しました。

 その後も、エイベックスはJYJのマネジメントを行わないという契約違反を継続しましたので、当社は、専属契約を解除し、日本での活動を再開することにしました。

 この契約解除が有効であることは常識で考えればだれでもわかることですが、エイベックスは、今度は「エイベックスとJYJの専属契約は継続して」という虚偽の事実を、横浜アリーナやさいたまスーパーアリーナなどのコンサート会場運営会社に通告するなどして、JYJの活動再開を妨害してきました。この頃のことは、ザックコーポレーションの宮崎社長の方が詳しいかもしれません。宮崎社長はエイベックスの妨害にも屈せず、JYJが両国国技館でコンサートをする手配をしてくれました。両国国技館を運営する相撲協会にも、エイベックスから、コンサートを中止しなければ裁判を起こすという脅迫文書が送られたようですが、相撲協会が圧力に屈せず予定どおりコンサートを開催させてくれました。宮崎社長の尽力、相撲協会の良識ある判断に、大変感謝しております。

 また、その後、ひたちなか海浜公園でコンサートを開催しようとした時も、関係者に違法な圧力がかけられたときいています。しかし、ひたちなか海浜公園を運営する国(国土交通省関東地方整備局)は、エイベックスを介さずにJYJのコンサートを開催しても何ら問題ないと正当な判断をしてくれましたので、宮崎社長には大変ご苦労をおかけしましたが、日本で活動したいというJYJの気持ち、日本のファンの皆さんの気持ちにこたえることができました。

エイベックスは、相撲協会に対しては損害賠償請求の裁判を起こしましたが、国に対しては裁判を起こしてもいません。弱い立場の者に強く、強い立場の者に弱い態度に出るエイベックスの卑怯な行動には、心底怒りを覚えます」

「怒り」が渦巻く長い長い裁判。この国境をまたいだ争いは、韓国の裁判所で、そして日本の裁判所でいちおうの決着が見られようとしている。

■一枚の写真

 一枚の写真がある。そこには五人の、「イケメン」としか形容しようのない若者たちが横一列に並んで写っている。真ん中でまっすぐこちらを見据える、少し中性的な顔立ちの少年がジェジュン。その右隣でポーズを取る、あどけない雰囲気を持つ少年がチャンミン。ジェジュンの左隣で、まるでジェジュンに対抗するように彼から少し距離を取る、切れ長の目を持つ美少年がユチョン。ユチョンの左隣でひとり黒いノンスリーブのTシャツに身を包み、髪を短くカットした少年がジュンス。チャンミンの右隣で渋いシャツを着こなし、全員を見守るようにして立つのが、リーダーのユンホだ。

 この写真は、なにも特別に貴重な写真ではない。グーグルで「東方神起」を画像検索にかければ、けっこう上のほうに出てくる。おそらく日本に来る前、グループの活動としては初期の写真で、どこか高校の同級生同士で撮った集合写真のような「素人臭さ」があって、でもそれがとても微笑ましい。なぜなら、もう少し検索をかけてみれば、今度はまったく違った彼らの写真が出てくるからだ。やっぱり「イケメン」としか形容しようがないのは同じなのだが、雰囲気がぜんぜんちがう。ダーク系の衣裳に身を包んだ彼らは、挑発的な、でもどこか見る者を包み込むような目線でこちらを覗き込んでくる。ある高みに登った者にしかできない、力強い視線だ。凄みすら感じる。真ん中にジェジュン、その右隣にチャンミン、左隣にすこしジェジュンに対抗意識を持っているように見えるユチョン、その左隣にノンスリーブのTシャツ(ただし今度は胸元がざっくり開いている)を着たジュンス、右端に全員を包み込むようにユンホが立つのは同じだ。ところが、この二枚の写真が隔てている数年の間に、彼らを「少年」からアジアでも有数と言っていいだろう「男」に成長させる濃密な変化があったことが想像できる。そしてそれはわたしの想像の中だけでなく、現実にあった。

 もちろん彼らには、その後でもっと大きな「変化」が訪れるのだが、それはひとまず置いておく。なによりも、既にアジアの「歴史」の一部と化した彼らの「変化」について語らなければならないと思うからだ。

(つづく)

(有料メルマガhttp://www.mag2.com/m/0001552211.html 2012年7月19日号に掲載した記事に少し手を加えました)