あの大地震が起きた後の2011年4月1日、わたしはいまだ大きな余震が続く東京を離れ、中国上海に向かう機内にいた。地震と放射能を怖れ逃げ帰った不良中国人を追うためである。


 もともと3月11日に上海に行く予定だった。しかし、成田空港に向かうため自宅から新宿駅に歩いている時に、あの震災が起こった。多くの人々と共に、呆然と新宿アルタ前の大画面に映る津波の映像を眺めることしかできなかった。その後、多数の在日の中国人たちの多くは、母国への帰途についたのだった。


 機中にて堀田善衛の『上海にて』(集英社文庫)を読んでいた。40年以上前、彼はこう書いていた。


「上海が農村を支配し、搾取するというのではなくて、農村が上海に侵入し、いわば、農村にひきもどされ、それにつかえるものとなった、ということなのだ。なんとなく田舎臭くなったな、とも私は思った」


 かつて東京を遥かに超えるアジア最大の大都会であった上海は、毛沢東と中国共産党によって「農村につかえる」一地方都市となってしまった。しかし今の上海は、また、その逆を行っている。アジアどころか、まるで世界最大の都市を目指しているかのごとく、上海はその周辺の農村を都市化し、飽くなき拡大を続けている。


 上海の空港に着くと、待っていた人物たちがいた。日本に帰化して日本の名前も持つ中国人の秦野と、在日コリアン二世の沢原だ。沢原の息子から預かった荷物を彼らに渡す。中に何が入っているのかは分からない。


「お前に変なものを持たせるわけがないだろう」


 そう言われた30kgほどの「荷物」だ。変なものではないことを祈るしかなかった。実際の中身に関しては、わたしは何も分からない。

 秦野と沢原が用意した二台の車に乗って高速道路をひた走る。ジェネリック・シティ上海など、上海では超高層ビルがにょきにょきと建っている。また、それぞれに個性はないが、歓楽街のようなネオンサインが夜の表情をつくっている。

 帰化中国人の秦野が経営する日本料理屋でわたしたちは夕食を取った。この店の商号やメニュー内容は、ある日本食チェーン店のパクリだ。最初は提携するつもりだったが、断られたので勝手に登録したという。秦野はいう。


「だから、もう文句言われる筋合いない」


 それを聞いた在日コリアンの沢原は、「上海に持って来たのは、日本の良質なサービスで、味ではないよ」と言う。1人40元ほどの客単価。儲かっているのかどうか聞くと、「赤字じゃない」とのことだった。

 その会食の場には、福島第一原発関係で働いていたある郭庸華(仮名)という中国人女性がいた。彼女ものまた地震と原発事故から逃げてきたのだ。郭によれば、福島原発周辺の市町村の町長はかなり儲かっているが、地元民はそれほど儲かっていないという。わたしは彼女に地震と原発事故に関するコメントを求めたが、原発に関する証言は上から止められているからダメだと断られる。郭は言う。


「福島県の人や土地には愛着があり、このまま逃げたいとは思わないですね。放射能汚染はそれほど怖くないですよ。でも、上海の家族からが『帰ってこい』とうるさくて。3月23日まで福島にいましたけどね」


 そんなこんなで上海に逃げてきたという彼女は、そろそろ戻ってもいいと言い、そして実際に4月末には日本に戻ることになる。


 郭は9歳の時初めて日本に来て、それ以来20年間日本に住んでいた。大学の経済学部に6年間通い、福島市に住んでいた。


 在日コリアンの沢原と日本に帰化した中国人秦野から紹介された、福島原発関連事業で働く郭という女性。東アジアの関係性の複雑さがなにかおかしかった。


 地震のとき、郭が務める会社の社長は何も持たずに避難して、頃合いを見て必要なものを取りに家に帰ったという。郭は言う。


「わたしは福島では裏切り者と思われている。地震直後、日本国内の電話はまるで繋がらなかったけど、国際電話はすぐに繋がりました。それなのに上海に帰ったら誰も会ってくれないんです。放射能が怖いみたい。半減期を待っているみたいね」


 郭は福島の会社で精力的に働いていた。彼女いわく「リーダー気質」なのかもしれない。しかし、福島県民の少なくない人は、中国人である郭のことをプライベートでは深く付き合おうとはしないのだという。「福島の人は保守的」だと言う郭は、他にも不動産会社のマネージャーもやっていた。その関係で、福島に数多くある水源つきの山を日本人に売りたいと思っていたが、もうできないと言う。


「今後は、上海で何かをやりながら日本に関わっていきたい。たとえば、自殺していない農家の人を上海に連れてきたい。日本人は優秀だというが、現実にはタイにも中国にも負けている人も多い。なのに、日本人の多くは自分たちのことを優秀だと思っているし、だから日本を出ようともしない」


 誰が見ても立派なビジネス・レディである郭の言葉を、沢原と秦野、そして彼らの若い中国人部下たちが神妙な顔をして聞いていた。彼らは日本と中国で違法行為スレスレのシノギで生計を立てている。日本の第一線で働く郭のことが羨ましく、そして誇らしげに思っているようだった。
 (つづく)


(有料メルマガhttp://www.mag2.com/m/0001552211.html に掲載した記事に少し手を加えました)