小野登志郎のブログ

出版・ウェブの制作会社(株)小野プロダクション代表で、ノンフィクション・ライターの小野登志郎です。徒然にゆる~く書いていけたらと思ってます。

■地獄の新兵訓練

 

 韓国の兵役は2年間である。彼らはその期間のほとんどを兵営で過ごすことになる。

 

 入隊するとまず、8週間間の新兵訓練が待っている。これまでは5週間だったが今年から8週間に延長された。新兵訓練は忠清南道論山で行われる。ここでまず入隊した新兵は最初の地獄を見ることになるという。

 

 ここでは射撃訓練をはじめ、様々な訓練が実施される。この8週間で、普通の市民社会に慣れていた韓国青年たちは徹底的にシゴかれ、「軍人」に鍛え上げられていくのである。これを「本物の男」だと言う韓国人は少なくない。

 

 去年秋入隊した、ピことチョン・ジフン2等兵は、射撃訓練でトップ5に入る成績を収め表彰されたという。ピは、韓流スターとしてだけでなく、兵士としても有能なようである。

 

 こうした新兵訓練の中でも最も過酷なのは、慶尚南道項浦の海兵隊基地で行われる海兵隊の新兵訓練であると先に書いた。これは通常6週間行われるが「地獄の中の地獄の訓練」として知られている。

 

 海兵隊兵士には「誰でも海兵になれるならば、自分は決して海兵隊を選ばなかっただろう」という思いと、少数精鋭というモットーから、強い自負を持っていると聞く。そんな彼らが対峙するのは、北朝鮮の最精鋭、特殊部隊である。彼らもまた地獄の訓練で知られている。

 

 北朝鮮のそれは、やや誇張されているとは聞くが、韓国で大ヒットした映画『シュリ』の中で描かれていた。この映画には、わたしは圧倒された。

 

 くだんの映画のワン・シーン……。銃の分解組み立て訓練で、勝った方が負けた方を組み立てた銃で射殺するというものがあった。本当なのかどうか分からない。嘘だろうとは思う。しかし、こうした「敵」と戦うわけだから、韓国の海兵隊の訓練は、時に死者も出す過酷なものとならざるを得ない。

 

 韓国海兵隊の訓練と称するものが民放のバラエテイー番組で放映されたことがある。それは、海兵隊のOBがつくった会社が行っているもので、新入社員の特訓などで行っているが、本物はあんなものではないという。

 

 ヒョンビンは、地獄の訓練を無事終了し、北朝鮮と海を隔てて向かい合うペリョン島の海兵隊に配属された。ここはいつ北朝鮮から砲弾が飛んでくるか分からない、最前線中の最前線だ。もし再び北朝鮮と戦端が開かれたら、いの一番に北朝鮮兵が上陸する場所でもある。この島でヒョンビンは約2年間、韓国軍海兵として過ごすのである。

 

■まるで「たこ部屋」、韓国軍の兵営生活

 

 新兵訓練を終えると各部隊に配属され、いよいよ本物の軍隊生活が始まる。

 

 北朝鮮軍と直接対峙する38度線や延坪島などのNLL(北方限界線・海上に引かれた軍事境界線)にある島に配属された兵士は、常に準軍事態勢で緊張の日々を送ることになるという。

 

 38度線上……。イ・ビョンホンと『チャングムの誓い』ノイ・ヨンエが主演した映画『JSA』は、実質的には“戦場”を舞台にした作品である。

 

 38度線内にあるDMZ(非武装地0帯)には、その名前とは裏腹に無数の地雷が敷設され、監視塔には実弾を装填した機関銃やライフルを構えた兵士が、北朝鮮兵の侵入に備えている。韓国軍は38度線内を定期的にパトロールするが、それは北朝鮮側も同じで、パトロール中に両軍兵士が鉢合わせすることも度々で、銃撃戦になったこともある。

 

 韓流スターの青年たちが、K1ライフルを構えて、北朝鮮軍と銃撃戦を展開していることを想像することは、酷なことであるかもしれない。しかし、それは決してドラマや映画の中の話だけではなく、現実におこっている隣国の事態なのだ。

 

 しかし韓国の芸能人の多くは芸能兵となり、軍の宣伝や軍隊の慰問活動などの任務に着くことから、実際のところあまり心配することもないとの声もある。芸能兵として軍隊生活を送った芸能人には、チソン、コン・ユ、キム・ジェウォン、イ・ドンゴン、イ・ジュンギといった韓流スターをはじめ、歌手のJohn-Hoon、キム・ボムスやホン・ギョンミン、ムン・ヒジュンなどがいる。

 

 また現役兵の中には、自宅通勤する「常勤予備役」という服務形態で軍隊生活を送る者もいる。彼らは主に地域防衛や兵器管理などの後方業務に着く。現役兵の中からから選抜されるが、例えば俳優ヨン・ジョンフンは常勤予備役で兵役を終えている。

 

 しかし、厳しいのは軍務だけではない。兵営生活もまた“苦難”に充ちている。

 

 兵営では、新兵は奴隷同然の扱いを受けるという。古参兵はみな新兵時代に“いじめられた”経験を持ち、1年経って新兵が入営してくると、まるで自分の新兵時代の敵をとるかの様にてぐすねを引いて新兵を待ち受けている。そして彼らをいじめるのである。

 

 上士に進級すると兵営の中でいわば牢名主であるかの様に振舞う。寝転んだまま「タバコ」と一言いうと新兵が飛んできてタバコに火をつけると言った具合である。こうなると待ちに待った除隊はもう目の前である。

 

 新兵はよく殴られるという。勤務や訓練で失態を犯すと分隊全体が責任を取らされる。兵営に帰るとその失態を犯した新兵には古参兵の鉄拳の嵐が待っている。

 

 かつてはあまりのいじめの酷さから、神経に変調をきたす者や自殺者が続出。また、いじめた古参兵を射殺し銃を持ったまま逃亡、追跡した憲兵と銃撃戦の末、射殺されるという痛ましい事件が起こったりしている。最近では、軍の兵営生活のあり方は韓国社会の批判を浴び、少しは改善されたと聞くが、長い間の伝統はそう容易く変わるものではない。

 

 何故韓国軍の兵営でいじめが繰り返されるのか。それは我が日本と深く関係していると言う向きもある。

 

 朝鮮戦争時、韓国軍の主流を成したのは旧日本軍の軍隊経験を持つ男達であった。韓国の経済成長の立役者となり今日の繁栄の基礎を作った朴正熙元大統領も、日本の陸軍士官学校出身者で朝鮮戦争当時現役の佐官であった。

 

 彼らが作り上げた韓国軍は旧日本軍そのものであった。内務班と呼ばれる悪名高い兵営生活もその時持ち込まれた。韓国軍では「気合(キハップ)を入れる」という言葉が使われているが、これは旧日本軍の「気合いを入れる」と全く同じである。つまり韓国軍の兵営生活は、旧日本軍のそれとほとんど変わらないものであったというのだ。


(つづく)

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 韓国に生まれた男なら避けて通れない道がある。兵役である。


 この問題を兵役の無い国、日本の男であるわたしが語るのは、やはり何かと重いものがあった。兵役の有る無しによる韓国人とわたしの「愛国」や「郷土愛」、「国家に対する貢献」などには、質的な違いがあることは否めず、隣国の異質な青年体験に対してどのような立ち位置が適切なのか、長い間、分からないでいたからだ。

 

 二十代の頃、同じ年頃の韓国人男性と会い酒が入ると、彼らはサッカーと軍隊の話をした。サッカーの話は分かるのだが、こと軍隊となると、こちらは話をすることができない。軍隊や兵役というものは、頭の中ではある程度は分かるのだが、分かった風に答えてしまうと、彼らの神経を逆なでするのではないかと慮り、言葉をつぐんでしまう。

 

 ある韓国人の若者は、兵役を断固拒否すると言って、日本のわたしの知人宅に泊まっていた。彼からいろいろと話を聞いた。兵役という過酷な任務からの単なる逃避ではなく、彼なりの思想的な理由が動機であることは痛いほど分かった。

 

 隣国の同世代の青年男子が直面する兵役に対して、その時わたしは、話を聞くだけで何かを言える立場にはなかった。徴兵制の無い日本で、わたしが兵役を避ける必要はもちろん無かったが、彼ら韓国人の若者が直面する兵役という問題をわたしは避けてきたのかもしれない。

 

 それから月日が何年か経った。なにかロジカルな理由がある訳ではないが、30歳の半ばも過ぎ、「男」的なる諸問題群から相対的に距離を取れるようになった今、隣国の兵役について思ったことを書いても良いのではないか。また、この一年半ほど、韓国の青年男子たちが作り出す文化・エンタテイメントにどっぷりと漬かったことから、そんな彼らの「戦士」性を意識せざるを得ないと思ったことから、ここに韓国の兵役と韓流スターたちについて書くことを試みてみたい。

 

 改めて書くまでもなく、韓国は北朝鮮と対峙する準戦争国家である。それは1950年の朝鮮戦争以来、60年以上も続いている。

 

 朝鮮戦争60周年目の2010年には、韓国では朝鮮戦争そのものを取り扱ったドラマや映画がいくつも作られた。ドラマでは俳優のソ・ジソプとキム・ハヌルが競演した『ロードナンバーワン』、映画では今人気絶頂の「ビッグ・バン」のTOPが、俳優クォン・サンウと主演した『戦果の中へ』がある。数年前に公開され、韓流ブームの走りの一つとなったチャン・ドンゴン、ウオンビン主演の映画『ブラザーフット』も朝鮮戦争が舞台だった。

 

 韓国にとっては、朝鮮戦争は決して過去のものではなく、現在進行形である。先述したように、わたしが韓国の男たちと話をする時、この「戦争」という言葉が重くのしかかる。

 

 韓国と北朝鮮は休戦しているだけで戦争状態は依然継続中だ。2010年に起こった北朝鮮潜水艦による韓国軍艦「天安撃沈事件」や、ソウルからそんなに離れていない延坪島に対する北朝鮮の砲撃では、韓国側は多くの戦死者を出している。そして38度線では小競り合いが日常茶飯事で、韓国軍兵士が負傷したり、悪くすれば死ぬという事件が頻発している。

 

 前置きがいささか長くなったが、この兵役という道は、韓流スターたちにとっても避けては通れない道だ。わかり易く言うと、現在兵役中の「超新星」のユナクや、現在NHKBSプレミアムで放送中の『シークレットガーデン』で主役を勤めているヒョンビンが、北朝鮮の不意打ちを受けて負傷したり、最悪の場合、死ぬことさえありうるかもしれないと言うことなのだ。

 

 そして、これは現在人気絶頂のチャン・グンソクや東方神起、JYJのメンバーが、そうした運命に曝される可能性があるということも意味する。中でも韓国軍の最強部隊で、北朝鮮と最前線で対峙する海兵隊を志願したヒョンビンは、その可能性が相対的に高くなる。

 

 通常、兵役に就いた韓流スターたちは新兵訓練が終わると、芸能部隊や、宣伝部隊に送られることになり、いわゆる前線に配備されることはあまり無い。しかしヒョンビンは、あえて最前線の海兵隊、通称ヘビョン(韓国語で海兵)を選んだのである。

 

 前線勤務だけではない。ヘビョン(海兵)は、その訓練の凄まじさでも通常部隊を遥かに超えていると聞く。10日以上も食料を持たず山に籠り、草や蛇、カエルなどを食べて過ごすと言うようなこともあるという。冬は凍った川の氷を割り、その中に上半身裸で飛び込んだりもするのである。こうした訓練中に事故死する兵士も少なくない……。

 

 現在兵役中の韓流スターを列記してみたい。

 

 前出のヒョンビン、ユナクのほかにNHKBSでOAされた日韓共同制作のドラマ『赤と黒』で主役を張ったキム・ナムギルなどがいる。去年は人気歌手で俳優でもあるピ(Rain)ことチョン・ジフンも入隊した。『ロードナンバーワン』で韓国軍兵を演じた俳優ソ・ジソフも入隊し、本物の兵隊になった。

 

 今後の兵役予備軍は、チャングンソク、JYJはもちろん、キム・ヒョンビン、「ビッグ・バン」、「2PM」とスターたちの枚挙に暇が無く並ぶ。

 

 昨年11月、JYJのユチョンとジュンスが兵務庁に兵役のための身体検査を受けに行き、検査に通ったというニュースが流れた。これで二人は最小5ヶ月以内、もしくは2年以内に軍隊に行かねばならなくなったはずだ。

 

 10代や20代前半の男性スターは、ほぼ全員この運命を受け入れざるを得ない。まれに、肉体的理由で兵役を免れたスターがいないわけでも無い。代表はあの元祖韓流スター、ヨン様こと、ペ・ヨンジュンがそれである。

 

『大王四神記』で激しいアクションを演じたヨン様が、肉体的理由で兵役を免れたとは意外だが、理由は視力が弱いということだったらしい。チャン・ドンゴンもまたデビュー前に気胸手術を受けたという理由で兵役を免除された。

 

 韓国の兵役。先述したように、わたしを含む日本の男性は、それを語る時、さまざまなことを考えてしまい、言葉をつぐんでしまうことが少なくない。兵役を免除されたスターと最前線に自ら志願したスターの、そのどちらかを支持することは、もちろんわたしにはできることではない。

 

(つづく)

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 そんな闇の象徴として突如、日韓の芸能界に現れ出てしまったのが、前出したC-JeSエンターテインメントの代表であるペク・チャンジュ氏である。2012616日に、東京地裁に提出された彼の陳述書を読んでみよう。

2 私の経歴について
 私は、2001(平成13)年、22歳のとき、芸能人のマネージメントを行っているアイスターズエンターテインメントという会社に就職しました。

2005(平成17)年、アイスターズエンターテインメントを辞めてヨーリエンターテインメントという会社に就職しました。この会社は、有名な芸能人を多く抱えている会社で、コスダックに上場している会社でした。私はその会社で、当時韓国芸能界で売り出し中のクォンサンウのマネージメントを行うなどの仕事をしていましたが、社長がお金を横領するなどの不肖事件が相次いだことから、上場廃止となり、倒産してしまいました。会社が倒産したとき、私はその会社の取締役でした」

 ペク・チャンジュ氏の陳述書は続く。

4 「活動休止」までの経緯
1)これは後から知った話ですが、2010529日、日本の「サンケイスポーツ」とう大衆紙に、私が暴力団とつながりがあり、私の父が韓国の暴力組織「ヤンウンイ派」の幹部として活動しており、父親の威力を背景に、私がマネージャーを勤めていた俳優クォンサンウを脅迫して巨額の金員を支払うよう仕向ける内容の覚書を作成させたとして脅迫罪で懲役6か月の実刑判決を受けたとする記事が掲載されました。

 しかし、まず、私自身は暴力団とは何のつながりもありません。「暴力団のつながりもある」など、まったくの虚偽で、とんでもない記事です。前述のとおり、私は、22歳の時から、芸能人のマネジメントの仕事を行ってきましたが、暴力団関係者と関係したことは一度もありません。

 確かに、脅迫罪で懲役6か月の実刑判決を受けたということは事実ですが、事の真相は次のとおりです。すなわち、私が株式会社ヨーリエンターテインメントにいた当時、クォンサンウの担当マネージャーをしていましたが、クォンサンウは私生活が大変乱れており、不祥事を起こすたびに私がその尻ぬぐいをしてきました。ところが、当時、芸能界に蔓延していた芸能人賭博に手を出し、クォンサンウが警察の捜査対象になる事件が起きました。私は、奔走して、この事件を解決しましたが、これ以上、クォンサンウの不祥事が起きることを回避するため、今度問題を起こしたら12億ウォンを支払うという簡単な内容を記載した覚書を書かせたところ、ヨーリエンターテインメントが倒産し、クォンサンウが他の芸能事務所に所属することとなって、上記の覚書が世に出てしまったのです。そのことから、私は、クォンサンウを脅迫したということで裁判にかけられることとなってしまったのです。クォンサンウのためにしたことが、クォンサンウを脅迫したと事実がすり替えられてしまったのです。そして、その裁判では、昔、私の父が暴力団組織「ヤンウンイ派」の幹部であったことを持ち出され、事実に反して有罪判決を受けることとなってしまいました。確かに、私の父は昔「ヤンウンイ派」の幹部だったことがありましたが、とうの昔に引退しており、当時、暴力団とは全く関係していませんでした。

 なお、私は、サンケイスポーツ紙に対して、記事に記載されている内容は事実と異なるから、きちんと事実を調査して欲しいとのクレームを出したところ、サンケイスポーツ紙は、再び記事を出し、上の記事に対する訂正報道をしたものの、このような内容(訂正された内容)は日本で報道されませんでした。

 ところが、この記事をきっかけにして、JYJのファンからエイベックスに問い合わせなどがされたそうです」

 ペク・チャンジュ氏のこの言葉を吟味、検証して理解、そして価値判断を下すには、もう少し時間が掛かる。ある意味においてだが彼に関しても、先に既述した正・反・合と共に考えて行く必要があると、わたしは考えているからだ。

 ことは、今現在見えている図式で理解することはできず、そして単純な善悪で図ることはできないのである。

 そして、先に記したように、韓国で行われているSMエンターテインメントとJYJの裁判は、7月19日に判決が出る予定だと伝えられていた。東京地裁に提出された韓国でのC-JeS側代理人、イム・サンヒョク弁護士の陳述書(今年6月16日付け)には、下記の記述がなされている。

「本案事件(韓国でのSMとJYJの裁判のこと・筆者注)は、今年6月には終結が予定されており(7月に伸びたものと思われる・筆者注)、担当裁判官からは、類似事案にて最高裁の裁判が出ており、(SMとJYJの・筆者注)専属契約が無効となることは避けられないとの意見が出されています。また、担当裁判官は専属契約の効力だけが問題となっていれば、もっと早く判決を出すことは可能であったが、損害論(JYJはSMから配当された利益の分配が不当であるとして、損害の賠償を請求)の問題があるため、時間がかかったということも言っていました」

 長い裁判がやっと一つの決着をみようとしている。この裁判の判決が「正・反・合」の運動の一つの帰結であることは、たぶんそうだろう。しかし、たとえ裁判が終わったとしても、「合」の状態から「反」が生まれることになる。それは過去、現在、未来という連続性を持つ社会関係としての、不可避の永久運動としてあるのだから。

 誤解を恐れずあえて単純に書くとするならば、判決が出ることによって、SMエンタテインメントやエイベックスが、JYJとC-JeSエンタテインメントと完全に「和解」することはないだろう、ということだ。

 おそらくは、日韓共に裁判は、JYJとC-JeS有利の判決が出るのではないか、とわたしは考えている。そして、今よりもJYJの活動はやりやすくなることだろう。

 しかし国境をまたいだ法廷での、このいちおうの決着が、全ての解決になるのかどうか。残念ながら、そのことに関してわたしは、懐疑的である。本当の意味での「和解」には、まだまだ時間が掛かってしまうのではないだろうか。

 もちろんこれは、単なるわたしの推測に過ぎないのだが……。
(つづく)

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(第2回) 「正・反・合」を歌い踊る東アジアのスターたち

 韓国で最大の発行部数を誇る日刊紙『朝鮮日報』は、7月19日付で下記のように伝えている。



「東方神起の専属契約をめぐる問題で対立しているSMエンタテインメントとJYJの裁判。7月19日午前10時にソウル中央地方裁判所で判決が出る予定だったが、再び和解へ向けて両者が調停に臨むことが分かった」

 上記情報をわたしが得たのは、この文章を書いている途中(7月11日午後)のことだった。7月19日に韓国ではいちおうの決着が見られるはず……。そう思っていたわたしは、少なからず落胆することになる。8月10日に、本当に和解は成立するのかどうか。今は結果を待つしかない。




■「正・反・合」の出発から、そして彼方へ

 東方神起事態とは、ファンやアンチだけの出来事ではないと、わたしは考えている。ファンやアンチだけではない、他の多くの日本人も考えるべきではないか。そう考えて、この一年間取材してきた。

 とにかく、次の楽曲に注目して欲しい。学者やインテリだけでなく、学生時代にでも少しでも哲学をかじったことのある方々には、是非観て、聴いていただきたい楽曲があるのだ。

 それは、五人時代の東方神起の楽曲のことだ。2006年9月29日に韓国ではSMエンターテインメントより、日本でも2007年10月24日にライセンス盤が発売された『“O”-正・反・合』がある。


 ユンホはこの歌について、過去にこう説明している。

「この曲は社会の悪いこともいいことも、それが全部あってこそいい社会ができるっていう歌詞。日本ではわりと恋愛とか元気な感じの歌詞が中心だけど、韓国では社会的な歌も歌っているんですよ。哲学者ヘーゲルの理論を歌詞に入れてみたりとか」
(「oricon style」2006年11月20日号)

 また、チャンミンはこう説明する。

「タイトルの『O』は社会を『O』の形で見たというか、正も反も全部受け入れるっていう意味を示している。OKの『O』って感じかな」(同上)

 正・反・合の哲学理論を語り、さらにはその理論を解釈し実践に取り入れる日本のアイドルを、わたしは知らない。

 また、ユチョンはこの歌に振り付けられたダンスについて、「この曲はダンスがすごく激しいんですよ。『Rising Sun』よりも2、3倍激しい! 昨日、韓国で初めてやってきたんだけど、ホントに死にそうだった(笑)。でも、ホントにカッコいいんでライブを楽しみにしてて」(同上)と感想を述べている。

 ここで語られる正反合とは、いったい何のことだろうか。個人的な解釈を既述してみたい。

 正反合とは、身もふたもない現実認識をする為の社会理論のことだと思っている。それは、誰にも解決できない事態(正)があり、だから紛争、抗争、戦争が起きる(反)。そして疲弊し切って、もしくは紛争当事者のどちらかが滅亡することで安定(合)する。さらにまた(合)の状態に(正)が生まれ、(反)が起きて……。そうやって人間社会は少しずつ成長してきたし、今も未来もそうだ、という理論のことなのだろう。

 そして、まず始めに確認しておくべきことは、一番最初の段階である「正」の時点で、既に「反」が含まれているという事実の認識だ。どうしても、五人の時の東方神起を「正」、完璧だったと捉えてしまいがちだが、それは違うのである。

 五人が完璧だった。しかし、今は……という考えを近くで見た者ほど考えがちだ。でも、彼らに近寄ってみたり、遠ざかってみたりしよう。いったい何が見えてくるのだろうか?

 どんなに完璧に見える「正」の状態にも、必ず「反」が潜んでいる。そのことを深く理解し体験したのは、その身をもって『O正反合』を歌い踊り、そして体験した、他でもない東方神起の五人だったのかもしれない。

 完璧な状態を前提にして世界や物事を捉えてはならない。わたしたちは、常に危うい均衡と闘争を繰り広げながら、一歩一歩進んできた。正反合の理論が教えてくれるのは、そういうことだ。

 くどいようだが、もう一度確認したい。正反合が重要なのは、現状というのは常に危うい均衡にあるということ。そして、このような過酷な現状認識の理論でありながら、単純化された受動的でニヒルな諦めや絶望ではなく、極めて能動的な、人間の、人間社会の希望や可能性を、やや楽観的に理論化しているところにあるということを。

 とにかく巷間、アイドルと呼ばれる彼らが、この正反合を、力強く、そして美しく、なまめかしく踊り歌い上げる姿は、わたしにとってはアッと驚く、ある種、異様とも言える光景だった。

 だからこそ、初めてこの楽曲を歌う彼らを見て、「ああ、歌わされているな」とあえて斜に構えて受け止めた。二十歳にも満たない彼らが、この難解な社会理論を歌い踊れるわけはない、そう思いたかったからだ。でも、今はそうは思わない。

 しかし、そのどちらにせよ、その後彼ら五人はこの正反合を、楽曲だけではなく、文字通り血反吐を撒き散らしつつ、演じてしまうことになる。

 それは、類い希なスターと呼ばれる人間たちが出会う、必然的で皮肉な出来事であると同時に、まさにそうであるが故に、わたしたちの今の世界を光り輝かせながら照らし出してくれる。ついぞ見えなかったわたしたちの社会に、厳として実在する深く濁った闇をさえも。

(つづく)

 

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(取材 北朝鮮に詳しいジャーナリスト浪城暁紀 構成・小野登志郎)


■対岸の北朝鮮警備兵を撮影、そこへ中国国境警備隊のパトロールが

 

食事を終えてしばらく休憩した後、再び車で河岸沿いを走った。その時河岸沿いに小さな建物が建っているのが見えた。運転手に聞くと、彼は北朝鮮警備兵の監視所だと教えてくれた。建物から出てくる兵士の姿を確認した。ふと河岸に目をやると北朝鮮の兵士が4人、川のすぐ縁をこちらのほうへ歩いてくるのが目に入った。彼らは銃を手にしていた。よく見ると銃は着剣している。その銃を振り回しながら兵士が川べりを歩いてきたのであった。


 銃を持った北朝鮮の兵士がすぐ近くをパトロールしている。またとない撮影のチャンスだった。すぐに車を止めさせて撮影に入った。車の中からではよく撮影できない。その時自然に体が動いてしまった。気づくと車を出て河岸に近づいて撮影していたのである。この時は、危険だとはかけらも思わなかったのである。あまりにもうかつな行為であった。しかし頭の中にあったのは目の前にある光景をカメラに収めなければという思いだけだったのである。


 その時であった。兵士を10人ほど乗せた中国国境警備隊の小型トラックが通りかかったのである。後で聞いたことであるが、この時、北朝鮮の兵士が武装越境し農家を襲い食べ物を略奪し逃走したという事件が発生していたのである。この兵士たちは北朝鮮の武装兵士の越境を追跡していたのであった。時刻は夕暮れ時で北朝鮮側から何か合図のような光が発せられたという報告で出動してきたのだ。この事実は後にその小隊長が我々に語ってくれたことで判った。


 即座に車が止められ、荷台から兵士がバラバラと降りてくるなり自分を拘束、ついで車の中にいた朝鮮族の友人と運転手をも拘束した。彼らは我々をスパイか、何かを手引きをする者として逮捕拘束したのである。突然の出来事に泡を食ってしまい、動揺する気持ちを抑えられえなかった。朝鮮族の友人が「何も言わずに、黙って従って」と私に指示した。その指示に従う以外すべはなかった。


 我々の前には逮捕されたという事実だけが重くのしかかっていた。しばらくして落ち着くと、逮捕したのが中国国境警備隊であるからにはたいしたことは無い。せいぜいカメラとテープの没収、そして罰金くらいで済むであろうと、努めて楽観的に考えることで何とか気を取り直した。


 我々は差し回されたジープで司令部に連行された。そこで中堅の将校の尋問を受けた。我々は朝鮮族友人の里帰りとそれに同伴した日本人旅行者と運転手に過ぎないと主張した。その将校は「対岸に合図を送っていただろう」と“自白”を迫ってきたが、「知らぬ存ぜず」で通した。


 しばらくするとその将校も我々がスパイや北朝鮮との連絡係りではないと気づいたようで、我々の取り扱いに戸惑っているようであった。彼は上級機関と協議するといって部屋を出ていった。しばらくして戻ってきたその将校は、上級者と連絡が付かないのでこのまま放免することは出来ないと告げた。こうした我々は、我々を補足した小隊の事務所で一夜を明かすことになってしまった。


 我々3人は再びジープに乗せられ、小隊の宿舎に“護送”された。途中、中国国境警備隊の検問に遭遇した。10名ほどの兵士が着剣した銃を持ち、車を1台1台検問していた。これも後で聞いたことだが、時々北朝鮮の兵士が強盗目的で越境し、中国国境警備兵と銃撃戦になるというのであった。私が目撃した検問の様子はそうした緊張感に溢れていた。

 
 しばらく走り、小隊の事務所に着いた。小隊長は我々を2階に連れて行ったのだった。


■延吉の国境警備隊指令部に連行される

 

 二階には長めの机が並べられて会議室の様であった。小隊長は部下に命じて机を並べさせた。どうやらこの机で寝るらしい。我々は拘束されてはいたが、手錠をかけられているわけでもなく室内では比較的自由であった。


 しばらくすると外から袋を提げた部下が入ってきた。それは弁当であった。これが今夜の夕食だった。肉と野菜をいためたものとご飯であった。どうなるのか判らないという不安の中で、味はほとんどわからなかった。我々はともかくとして、雇った運転手氏は可哀そうだった。しかし彼は文句一つ言わず、おとなしく従っていた。


 午後10時を過ぎた頃、消灯となった。小隊長と二人の部下が我々を囲むように寝た。部屋の外には兵士が二人見張りをしていた。電気は消されたが、中々寝付かれるものではない。朝鮮族の友人は言った。


「延吉の指令部に連れて行かれる様だが、延吉に行けば、伝手も多いし、何とかなるから心配しないでいい」


 そう囁いてくれたが、不安は少しも減らず、あれこれと思い悩み眠ることは出来なかった。わたしが怖れていたことは、テープを没収され、そのまま国外追放になることである。それなりに費用を使ってきているのに、無に帰するかもしれない。それが一番の心配であった。

 
 そうこうする内に夜が白んできた。結局その夜は一睡も出来なかった。午前8時に起床すると、しばらくして饅頭とお茶が出された。これが兵士達の朝食である様で、兵士達も我々と一緒に食べていた。午前9時ごろ小隊長が出発を告げた。我々は車に乗せられ延吉を目指した。

 
 そして、1時間ほどで延吉の町に到着した。やがて車は辺境防衛隊の司令部に入っていった。車から降ろされた我々は、車の側で待機するよう命じられた。しばらくすると高級将校らしき人物が現れた。いよいよこれから取調べが始まるかと緊張した。その高級将校は朝鮮族のわたしの友人としばらく話していた。話が終わると高級将校はそそくさと立ち去った。どうしたのだろうと思っていると、朝鮮族の友人が「これで終わりですよ」と告げた。聞くと若干の注意を受けただけだったと言う。取締りといっても、この当時はまだこんなものだったのだ。これで取締りをすっかり甘く見てしまった私は、後に痛い目に遭うことになるのだが、それはまだ2年先のことである。

 
 無事放免となった我々は、小隊長を誘って食事に行くことにした。任務を果たして安心したのか、この小隊長は、その頃にはすっかり打ち解けていた。


 近くの店に入り、テンジャンチゲの定食を頼んだ。食事をしながら、この小隊長は自分のことを語った。彼は地元出身の朝鮮族で高校卒業後軍隊に入り、朝鮮語が出来ることから辺防に配属され、10年間勤務しているという。階級は少尉であった。彼は秋にまた来れば良いと我々に提案した。秋になると北朝鮮からマツタケを担いだ密輸人がたくさん河を越えてくるという。このマツタケをご馳走しようと言うのだ。そしてその様子をこっそり撮影させてあげるとも言った。私はぜひお願いしますと返事した。と、その時、小隊長はバッグの中から何かを取り出した。それは逮捕された時、カメラに入っていた北朝鮮の兵士を写したテープである。彼はこれを持っていけと言ったのだ。取材者にとっては命より大事なテープである。しかも、それには銃を振り回す北朝鮮兵士が写っている。私は丁重に礼を言いテープを受け取った。見返りに金銭を要求されるかと思ったが、なにも無かった。その意味で彼は純情な朝鮮族の青年であった。その後二度と彼に会うことは無かったが、彼のことは記憶の中に今も留めている。


 まことにあっけない幕切れであった。

 
 こうして取材を、わたしはまだまだ続けることになるのである。

 
 (つづく)

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